この時期になると東京から移動した頃が脳裏に蘇る。

四月の民族移動シーズンをやり過ごすのも大事だったが、

広くもなかったはずの集合住宅には、決断が必要なほどの本や荷物があった。

 

捨てればいい、売ればいいモノは一つも無い。

と言いたいが、村上春樹の書籍はどこでも読めるだろう、と

近所のリサイクル施設の本コーナーへ。

尾道の図書館にあったのは、文庫と全集で拵えが違い容易に

「ねじまき鳥クロニクル」など読み返しが難しくなってしまった。

 

 

 

「大阪の生活史」岸政彦編を読む。

 

「東京の生活史」に続いての書籍だが、

厚みが増したのに、どうも これは 比べてしまうけど

 聞き取りが悪いのか?

 

大阪弁も引っかかり、読みやすいとはいえない。

東北生まれの東京人だけど、10年関西の、先の中国地方にいるのだ。

どうも、言語が生活に、思想に及ぼす力は侮ってはいけない。

そうだ。

人間は言葉で考え、その記憶の出力を方言で表現する。

だとすれば、

この曖昧な短いのが良かったのに人生に達してないと思えるのは、

憤慨して評すべきではなく、これが大阪という地域の特質と思うべきか。

あるいは、インビュアーの方を大阪人以外にし、

方言言語が粘着してしまわないように思いを引き出す

という力量が問われると岸政彦は考えても良かった。