年齢を意識すれば多分

高齢作家になってしまったが、

感染や戦争、正月の能登半島震災、政党や民間企業の組織的の

金銭がらみの不正や大流行、温暖化対策失敗の世界的な天候激化の

潮流という終末的なる環境渦中にあって

こうして未だ現役としての新作長編が読めるのは

何をどう考えても幸運で素晴らしいと感じる。

 

「君たちはどう生きるのか」の宮崎駿も

改めてとても長い観客として読者となりし長きの付き合い。

同時代を生きてきたと実感。

 

早くとも遅くともそれぞれの人生の中で

運命的に出会ってしまったモノたちの理不尽で唐突な別離を

これまでになく肯定する作者の気持ちには

小説やアニメーションに生涯をかけてきた心情が今まで以上に感ぜられる。

 

読む間に観たピクサー「ソウルフルワールド」の、

穴に落ちで迷いこむ魂世界のミックス効果もありの村上小説

読み終えて大きく息を吐き、これからの己の10年を思案する。

 

彼らの作品、特に村上春樹は夢を見たときに

現実がそれまでと違ってしまうように

読み終えると

これまでの時間がニュートラル化される極めて

得難いか得難さを持つ作品でもある。

もちろん、私的見解だけど。

 

小説は。

 

「うむ、読んだことがあるな」の既視感がありながらもの

二つの世界での展開。

 

少女との作り上げた黙々と古い夢を読む本のない図書館と

彼の乾いたモノクロ的な学生の日々、やがて上京しての中年。

それまでの仕事を手放すようにやめ、福島の山あいの図書館へ行く話。

そこでは図書館にでてくる元館長の幽霊と出逢う。

 

ヴィム・ヴェンダース監督の「ベルリン天使の詩」の

図書館にいる、少年には気配が感じとれたりする

見えない天使たちのシーンを思い出す。

彼らは本を読む人々を見守り、そっと寄り添う。

 

村上小説には図書館は不可欠な空間。

これまでにも実に色々な図書館が出てくるが、

あの静かな聖空間は

やはり、本が貯蓄された夢の地集積地であり地層のよう。

 

そして今回ほど夢を強く意識させ、フロイト的だと感じる気がした。

主人公は青年期の、そして中年の、

スカートを履く子易さんも作者が生きてきた時間の分身のよう。

 

そういえば、

新井薬師でスカートを履いた女子高生姿のおじさんを見かけたが、

足が綺麗だったのに目を奪われたのを懐かしく思い出した。

 

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二回目を読むが、よりよくわかった。

しかし、私たちが見る夢がそうであるように

目覚めてしまい、思い出そうとすればどんどん忘れてしまうように

読んでいるのに忘れていく。

 

ちょっと不思議な作品で、やはり夢のようだ。