源氏物語の登場する道長の家族を書いてみる。
兼家の第5子。御堂関白・法成寺入道前関白太政大臣と称されるが、正式には関白でなく内覧の宣旨を得たのみ。法成寺摂生とも。藤原氏極盛時代の氏長者。長女彰子は一条天皇の皇后となって後一条・後朱雀両天皇を生み、次女妍子は三条天皇の皇后、3女威子は後一条天皇の皇后、4女嬉子は後朱雀東宮の妃。法成寺を造営。自筆本の日記「御堂関白記』が伝わる。
妾藤原兼家の妾。一人息子の道綱を溺愛している。和歌にたけており、兼家との日々を『蜻蛉日記』として残した、才色兼備の女性。まひろ(紫式部)も幼いころから、『蜻蛉日記』を読みこんでいる。
兼家の長子。娘貞子は一条天皇の皇后。一条天皇の時、摂生関白となった。権勢を子の伊周に譲ろうと図るが、死後、弟道長に奪われた。中関白という。
兼家の第4子。右大臣・関白。父を助け花山天皇を欺いて譲位を勧めた。世に七日関白・粟田関白という。
平安時代中期の 女官 。 藤原師輔 の娘。 藤原道兼 室、後に 平惟仲 室。 経歴. 初め、 円融天皇 の 女御 であった 藤原詮子 に仕え , 天元 3年( 980年 )に詮子が懐仁親王(後の 一条天皇 )を生むと 橘徳子 ( 藤原有国 室)らと共に乳母に任じられた。
平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家の次男。官位は正二位・大納言。
日本の第66代天皇・一条天皇の皇后。脩子内親王・敦康親王・媄子内親王の生母。通称は一条院皇后宮。
平安時代中期、第64代天皇・円融天皇の女御。一条天皇の母(国母)。院号は東三条院。摂政関白・太政大臣藤原兼家の次女で、母は摂津守藤原中正の娘時姫。先後して摂関に在職した道隆・道兼・道長、また冷泉天皇女御超子は同母の兄弟。
摂津守藤原中正の娘。摂政太政大臣・藤原兼家の正室、一条・三条両天皇の祖母。贈正一位。
師輔の子。兄兼通と関白を争い、子道兼をして花山天皇を欺いて譲位を図った。摂政太政大臣。大入道前関白、また東三条殿と称。
藤原道隆の妻。定子の母。
相貌失認の私は俳優さんの顔が覚えられずドラマを見ていてもその内容を理解するのに苦労する。
だけど、今回の大河ドラマ「光る君へ」に出てくる主人公藤原道長を演じる江本佑さんだけは何故かどの画面に登場してもすぐ分かる。
でも、肝心のまひろを演じている吉高由里子さんはやはり覚えられない。
紫式部は自分のことはあまり語らず、どんな人生を送って来たかはよく分かっていないらしい。
ドラマの内容は全くのフイクションのようだが紫式部と道長の恋仲はまんざらウソってこともないらしい。
まひろは道長からプロポーズされたが身分が違い過ぎるから出来ないって断る。
もし現代だったらどんな関係になっていただろ。