二十四節気(にじゅうしせっき)
太陽年を太陽の黄経に従って24等分して、季節を示すのに用いる語。
中国伝来の語で、その等分点を立春・雨水などと名付ける。
黄経が270度に達する時で、北半球では、正午における太陽の高度は一年中で最も低く、また、昼が最も短い。
太陽の黄経が285度の時で、12月の節。
太陽の黄経が300度の時で、12月中。
太陽の黄経が315度の時で、春の初め。
太陽の黄経が330度の時で、正月の中。
啓蟄(蟄虫、すなわち冬ごもりの虫がはい出るの意) 3月6日頃
太陽の黄経が345度の時で、2月の節。
春分を含む日を春分の日という。昼と夜の長さがほぼ等しい。
太陽の黄経が15度の時。春分後15日目。
太陽の黄経が30度の時。春の季節中の最後。
太陽の黄経が45度の時。夏の初め。
太陽の黄経が60度の時で、4月の中。
太陽の黄経が75度の時。
太陽の黄経が90度の時で、北半球で昼が最も長く、夜が最も短い。
夏至と大暑の間。次第に熱くなる季節。
小暑と立秋の間。一年中で最も暑いとされるとき。
太陽の黄経が135度の時。秋の初め。
太陽の黄経が150度の時で、暑さが止み、新涼が間近い日。
太陽の黄経が165度の時。秋分前の15日。
この頃から秋気がようやく加わる。
太陽が秋分点に達した時。秋分を含む日を秋分の日という。昼夜の長さがほぼ等しくなる。
太陽の黄経が195度の時。
太陽の黄経が210度の時。
太陽の黄経が225度の時。冬の初め。
立冬と大雪の間。
太陽の黄経が255度の時。
小雪と冬至の間。
暦の上では8月8日にはもう秋にはいるようだ。
この頃は8月いっぱいはまだ夏の真っ盛り、9月に入ってもまだ残暑が残り、涼しさがやってくるのは彼岸が過ぎてからのようだ。
能登半島地震の被災者の避難先
ここは市の体育施設。能登半島の被災者が帰るまで体育施設は使えない。
その被災者も5月中にはほとんど帰るようだ。
朝早く散歩していると、体育館の中がよく見える。
どうやら2m四方に囲われているようだ。この中で被災者は寝泊まりしている。
ボランティアの人たちが被災被災者屈しないように中でなんだかんだとやっている。
その体育館の前で私たちはラジオ体操をしている。
窓越しで被災者の様子がよく見える。
被災者の一人が窓の外に向かって手を振っている。
窓を背にしている人は不思議がっていると、手を振った人が
「そら、あそこ」っていうように私の方を指さす。
窓を背にしていた人は体をくるっと回して窓の外を見る。
私が手を振ると彼らはにっこり笑って、一斉に手を振る。
そう、どうやらお友達になったようだ。
この前、話した時は、まだ30人ぐらいいるようだったが、今日はその半数が返ったしまったようで、中にいたのは10人くらいだった。
仕切りのカーテンは次々と剝がされて行っているようだ。
どうやらここに避難している人は輪島の人たちの様だった。
帰っても、家は潰れてしまって住むところがない。
県や市が用意した仮設住宅での暮らしになるようだ。
輪島の朝市通りは丸焼けになって影形もない。
今は金沢市の金石(幕末の豪商銭谷五兵衛がいたところ)で仮の朝市を営業している。
再び輪島の町で朝市ができる日が来る日を夢見て。
もうすぐ、この体育館も寂しくなります。