秋田の血 | 光りに還った父に会う日まで

光りに還った父に会う日まで

二度の脳梗塞、二度の肺癌を患った父。10年間自宅で介護し、家族に見守られながら光に還った父。
父に幸せな姿を見てもらおうと、本来の私を思い出し、私の夢に向かっている途中です。遠隔ヒーリング始めました。

父は、秋田県出身。

私が生まれた時から

父と会話をしていたので(当たり前か〰️ゲラゲラ)

全く気付かなかったけれど

父は、ちょっとズーズー弁、秋田訛りが

あったようだ。

高校卒業して、地元を離れ

定年まで東北内を転勤していたので

普段の会話では、バリバリのズーズー弁は

出なかったけれど、さすが‼️秋田県人‼️

めちゃくちゃお酒が日本酒生ビール強くて

晩酌日本酒すると、秋田弁が出る出る(笑)


『やっぱり、秋田の酒が一番だチュー』と

秋田のお酒、高清水や爛漫を

めっちゃ誉めまくりながら、飲んでいた。

冬の季節は

きりたんぽ鍋や、しょっつる鍋

ハタハタを鍋にしたり、焼いたり

焼いたハタハタのぶりっこを

コリコリ、ブチブチ言わせながら食べるのが

我が家の定番だ。

私は父に似ず、アルコールはダメだけど

と言うか、昔は飲んでいたけれど

父が脳梗塞で倒れ、介護が必要になってから

酔っぱらってたら父の介護が出来ないので

私はアルコールを飲むのを止めた。

父が光に還った後、友達との飲み会で

10年ぶりにアルコールを飲んだが

たった一杯で酔っぱらってしまい

アルコールを受け付けない体になったようだ。

父を思い出しながら、父の好きだった

高清水や爛漫を、いっぱい引っ掛けたい所

たけど、そこは叔父(父の弟)に託し

私と母は、秋田の食を、楽しみたいと思う照れ

父の兄妹六人のうち、四人がすでに

光に還ってしまい、残っているのは

叔父(父の弟)、叔母(父の妹)の二人だけ。

秋田に行く機会も減ってしまったけれど

父の生まれ育った地、秋田県を想い

私が生きている間は

秋田の食を、堪能しようと思う。



秋田のおばさんから、リンゴ🍎が届いた。

来週は、叔父が(父の兄)光りに還って2年。

お葬式も、去年の一周忌も

大雪で吹雪で大変だったからと

今年は、早めに三回忌を行ったそうだ。

2月が来れば、今度は父の三回忌が来る。

まだ二年しか経っていないのに

父が光りに還った日が

遠い昔のように感じる。

大切な愛する人とのお別れは

普通の時間の感覚と違うなーと、感じている。

私らしさも大切にしつつ

父の娘らしさも大切にしつつ

父の想いも大切にしつつ

私らしく、生きていこうと思う。