非暴力・不服従の勧め ユングの「レッドブック」から | 西尾浩史のブログ

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元kamekichihiroこと西尾浩史と申します
先祖の産土から採ったペンネームです
典型的な「射手座」男子です
中部地方某県生まれ
学歴は以下の通りです
国立大学附属小学校、同中学校卒
地元高校進学後、国立大学卒業
経済学学士、土壌医
元金融機関職員です

今日は「ユング」の「赤の書」から、意識下の自己と意識から排除された「シャドウ」(影)との対話について触れたいと思います

 

最初に、「レッドブック」について概略をご説明します。

「ユング」の「THE RED BOOK」はユングの遺言の中に死後は公表すること無く遺族の元に留めておいて欲しいと言う希望が書かれていた極めて私的な記録でした。

しかし、1961年にユングがこの世を去ってからおよそ40年後の2000年に相続者会が刊行を決めて以降読み解いて行くと、ユングが「友人たちよ」と言う呼びかけの記述した部分が多数あり、ユング自身必ずしも秘匿し続けて欲しいと思っていた訳ではないことが分かったのです。

この本の刊行責任者であったC・G・ユング著作財団のウイリッヒ・ヘルニィや編者のソム・シャムサダーニはこの書がユングの後半の研究の最大のテーマだった「無意識との対決」の記録であり、ユング自身の私的な領域を超えた彼の総ての著作の中心に位置づけられるものであると明言しています

つまり、ユング心理学の「原典」とも言える著作なのです。

 

私としては、最近のウクライナ紛争やここ数年ずっと続いているコロナ騒ぎについて考える内に、自分自身を苦しめ続けた「シャドウ」と一生掛けて対話し続けたユングが最終的に行き着いた先で何を見たのかを確かめたかったのでこの書を再読したのです

 

この「赤の書」の最終章に置かれた草稿である「試練」(Prüfungen)の標題は勿論神が自分に与えた試練と言う意味なのですが、以下にその一部を載せてみましたので、非常に深い内容ですので、皆さんに自分なりにじっくりと味わって頂きたいと思う次第です

 

 

 

「神々は服従を望んでいます」と魂が答えた。

「それなら、それでよい。しかし、私は神々の要求を恐れるゆえにこう言います。私にできることを行いたい。どんなことがあっても、私は、神々に任せなければならなかった全ての苦しみを再び自分自身に引き受けたりはしません。イエス・キリストも、弟子たちの苦しみを取り除かれなかったばかりか、むしろさらに苦しみを増した。私は自分のために条件を留保します。神々はそのことを認識しそれによって要望を述べるべきです。人間は神々の奴隷になることをやめたのだから、無条件の服従はもうありません。人間は、神々の前にあっても尊厳を有します。人間は手足であって、神々でさえもそれなしにはどうにもなりません。神々の前で屈服することはもうないのです。神々の望みをきこうではありませんか。それから比較によって残りのことが決められるべきであって、そうすれば、各々が自分にふさわしいものを得られるのです。」

私の魂がこう答えた。「神々はあなたが行いたくないと思っていることを、神々のために行うよう望んでいます」。

私は大声で言った。「そうだと思っていました。もちろん、それが神々の望みです。けれども、神々も私の望むことをしてくださると言うのでしょうか?神々は目的が叶うことを望んでいますが、私の目的の成就はどうなるのでしょうか?」

それを聞いて私の魂は激怒し、こう言った。「あなたは、信じ難いほど傲慢で、反抗的ですね。神々は強力だということを考慮にいれておくように」。

私は返答した。「わかっています。しかし、もはや無条件の服従などあり得ないのです。神々は、いつも私に力を加えるのですか?神々も、私が神々のために自分の力を使うことを望んでいます。神々のはたらきはどこにあるのですか?神々が苦しんでいるということでしょうか?人間は苦悶を味わったというのに、神々はそれでも満足せず、なおも飽くことなく新しい苦しみを考え出そうとしている。神々が目のくらんだ人間を放置したため、人間は、多様な神々など存在せず、愛する父である唯一の神が存在すると思い込み、それゆえ今日では、神々と苦闘するものは狂人だとさえ思われる。そこで神々は、力を得たいという際限のない欲望から、神々を認識する者のためにこの不名誉を着せようとしてもいる。なぜなら目がくらんだ者たちを導くのはいとも易しいからです。神々は、自分達の奴隷さえ堕落させる」。

「あなたは神々に従いたくないと言うのですか?」私の魂は驚愕してそう叫んだ。

私は答えた。「すでに、もう十分すぎるほど果たしたはずです。それゆえ、神々はあまりにも多く生贄を授かるので、飽くことを知らないのです。目がくらんだ人類を載せた祭壇は、血煙を立てている。けれども、満足をもたらすのは過剰ではなく、欠乏です。神々が、人間から欠乏を学びますように。誰が私のために何かをしてくれるのでしょうか?それが、私が提起しなければならない問いです。神々が為すべきことを私がすることはあり得ない。神々が私の提案をどうお考えになるか、尋ねてみるがよい」。

すると、私の魂は分裂して、鳥となった魂はさっと舞い上がって高いところにいる神々のもとへ行き、蛇となった魂は這って低いところにいる神々のもとへ行った。それからまもなく、魂は私のところへ戻ってきて、憂鬱そうに言った。「神々は、あなたが服従したくないことに憤慨している」。

私は返答した。「そんなことはあまり気にならない。私はすでに、神々を宥めるためにありとあらゆることをしました。神々も自分の分を果たしてくださいますように。神々にお伝え下さい。私は待っていられます。私はもはや、思いのままにされるつもりはありません。神々がお返しを考えてくださるように。行ってください。明日あなたを呼ぶので、神々が何と決断したのかを教えて下さい」。

去っていく私の魂は、衝撃を受け、心配しているように私には見えた。というのも、魂は神々やデーモンの仲間に属し、絶えず私を自分たちの仲間に転向させようとしているからである。

 

 

それは私の人間的なものが、私が一族に属していてその仲間のために仕えねばならないと私を納得させたがっているのと同じである。・・・