6月19日(月)

新会社を設立するかどうかを調べる、3ヶ月の調査期間の幕が切って落とされたこの日。

現在の業務の合間をぬって、うちの役員の紹介で、新プロジェクトのアドバイザー企業となっていただいた、Kに初訪問して打ち合わせ。

株主総会前で忙しいのにもかかわらず、社長まで出席していただきアドバイスをいただく。

今後の方針を決め、9月中旬の最終役員プレゼンまでのスケジュールを確認する。

辞令発令後の7月1日以降は、うちの会社では私だけがこのプロジェクト担当だということで、調査関係などK社スタッフの方が全面協力してくれることに。

本当にありがたいことです。


6月20日(火)

同じくアドバイザー企業であるS社の取締役と打ち合わせ。

ただ、先のK社にしてもS社にしても、わが社の役員からの紹介だったので、今後の進め方に関して、現場としてお互いの認識を共通化させることを主題にミーティング。

S社の本プロジェクトへのかかわり方に関して、最終確認をS社社長に確認とることになる。


6月21日(水)

S社から連絡あり。

S社もK社同様にこのプロジェクトに対して、調査機関から積極的にかかわり、フレーム作りまで関与したいとの社長の言葉を伝言で聞く。

ありがたいことです。


6月22日(木)

社内のK取締役と昨日のS社の返事含めてランチミーティング。

方向性を決める。

同時にA局長ともネット広告業界に詳しい人物を紹介してもらうため、打ち合わせ。

夜は個人的に勉強のため、六本木のアカデミーヒルズの講義に参加。

日本vsブラジル戦があるにも関わらず、会場はかなりの人。

モバイル広告の話を聞かせていただき、大変参考になった。


6月23日(金)

現業の引き継ぎ作業でバタバタだが、この日は次回の会議で使用する資料作成。

社内のk取締役からも資料をいただく。

話がそれるが、某スポーツ団体との現業の打ち合わせの最中、「これは・・・」と新プロジェクトのビジネスのネタになりそうなテーマのことを聞きつける。

やはり基本は「人と会うことだ」と実感。


6月24日(土)

2週に1回通っている大学院の5時間講義に。今回は内容が単調で授業が長く感じられた。

今回ではないが、前回の講義では、気になった格言があったので記しておく。


『最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できるものである』(ダーウィンの言葉として伝えられている)

ある日、会社の総務部長と廊下ですれ違った際に、「そうそう、このまえ話していた『社内ベンチャー企画』。あれ役員会議で通ったみたいだから、今度、募集するみたいだよ」という話を聞いた。


その後、平成18年1月になり、『新規ビジネスアイデア求む!』の掲示が社内ボードに載った。


「誰々は応募するみたい」とか「お前は今のセクション嫌がっているから応募しないの?」などの声が社内のあちらこちらでポツポツ出始めた。


自分なりのアイデアがあった私は早速、2月の締め切り間に合わせるべく応募シート作成に入ろうかとした矢先、2名の先輩社員にl別々に声をかけられた。


「Nはどうるするの?」

「私は応募しまっせ!こんなアイデアです」

(タイミングは違うが)

「私もアイデアあるけど(メモ)、一緒に応募しない?」

「俺もお前のアイデアに乗った。一緒に組まないか?」


考えた私は、面識のある2名の先輩を引き合わせて、3人の連名で応募することにした。

分野が違う人のアイデアがあった方が良いと思ったからだ。


そして締め切り当日にギリギリセーフで応募。


結果は応募数100作品近い中から、書類審査を経て、3月の「役員プレゼン」を受ける資格を得て、緊張のプレゼン実施。

その結果、3作品が残り、①「すぐに会社出資で起業」、②「一度調査してから再度検討」のうち②の案件で残った。


4月と5月はその調査会議のための社内検討会議を何度か開催。

その間の会社との会議で、先の2先輩との3人での共同実施ではなく、私一人での立ち上げ方向に変更となった。


事情は2名の先輩も分かってくれ、その後も様々な面でサポートしてくれている。


その結果、6月16日(金)に正式に辞令が出て、設立準備室への異動の内示を受けた。


これからの3ヶ月間。「ネット広告」、「ネットマーケティング」などを軸とした新会社設立の調査期間として、不眠不休で働くつもりだ。


そうしたことで、このブログは期間限定になりますが、9月末までの日々を記す日記であり、皆さんからの教えを請う場所にしていければ幸いだと考えとります。