どうも、kame3です。
ウマ娘でダイユウサクの小説を書くためにブログの更新頻度が大幅に下がっていましたが、此度は四度目のボツが決まったことを報告します。
15日くらいかけてゆっくり書いてきた文章、全部無意味…ってなるのが普段なんですけど、今回はちょっと事情が違ってさ。
まず俺はウマ娘の影響でダイユウサクと言う競走馬を知りました。有馬記念で単勝万馬券馬、病弱からの逆転劇、関係者がレース前から本気で勝ちに行っていたと言う姿勢に心打たれて大好きになりました。
そこからネットとかでダイユウサクのエピソードを調べて回って、ネット上にある情報を集めて回ってさ…この地点では他の名馬のエピソードとかをあまり知らない事とか、強い馬よりも穴馬の方に興味があったから個人的に1番好きな馬ぐらいの認識だったんだよ。
でも、ダイユウサクを知ってから2年くらい経ってからもう一回ダイユウサクについて詳しく調べてみるって企画をやったんだけど…ダイユウサクの経歴って物凄く不思議だったんだよ。
例えばダイユウサクがデビューしたのが同期のオグリキャップが初めてタマモクロスと勝負した天皇賞秋の開催日と同じ。その2年後に初めてのG1に出走、レースは天皇賞秋でオグリ6着、ダイユウサク7着でした。
その後オグリは同年の有馬記念優勝して引退、翌年の有馬記念を制したのはダイユウサクと言ったところとか、他にも言い出したらキリがないので今回は省くけど…なんか、エピソードが作りやすい経歴だなぁと思ったんだよ。
で、今回ダイユウサクの小説を書く際のテーマが『ダイユウサクを出さずに1991年の有馬記念の話をする』に決めて、第一話はプレスラスニーとミルワカバ(オサイチジョージ)の二人の話を書いていて…内容としてはレースってクソだって話ですかね。
この二人はそれぞれG1レースで一勝したけど、誰も讃えてくれないどころか悪役のレッテルを貼られた。部外者の理想がレースに反映されないと文句言って来るくせに、何がレースにはドラマがある!とか言ったんだクソが!みたいな内容なんだけど、1988年から1990年までの競馬会の主役といえばオグリキャップ。
その翌年はマックイーンが同じ芦毛で、宝塚記念からジャパンカップまで3連敗。そんな中で迎えた有馬記念、ここで勝てば正にオグリの後を継ぐものだ!みたいなストーリーが作れるはずが、横から単勝137.9倍の全然知名度ない馬が勝利を掻っ攫っていった。それがダイユウサクなんだけど…
なんで有馬記念のダイユウサクの人気がそこまで無かったのか。これは俺の仮説だけど、原因の一端にオグリブームがあるんじゃないのだろうか。
オグリブームによって競馬ファンが増えた。つまり無知な連中が急増した訳だ。で、オグリが現役だった時にはオグリを買えばよかったけどいなくなった今はどの馬券を買えば良いのか分からない。でもオグリが制した有馬記念の思い出を引きずって翌年の有馬記念に興味を持ったから馬券は買いたい。
そんな時に見るのが事前人気。1番人気=1番強い馬、二番人気=2番目に強い馬と判断し、15番人気の馬は15番目に絶対に勝つわけないと思い込む。その馬の経歴などは全無視してな。
馬券販売直後の地点では微々たる差だが、素人の馬券購入によってその差は広がっていき、ダイユウサクは長年の競馬ファンからも見向きもされないくらいのオッズに到達。
このレースの15番人気のオースミシャダイは体調不良で、陣営的にも完走して引退式をやりたかっただけで本気で走る事は出来なかった。経歴だけでいえば前年の有馬記念5着など、決して悪いものではなかったが万が一にも勝てる筈が無かった…
が、人によっては14番人気のダイユウサクは陣営による贔屓目を抜きに、メチャクチャ馬体が良い状態に見えたという。
じゃあもし競馬ファンが滅茶苦茶審美眼があって、ダイユウサクが2番人気だったら?マックイーン陣営も、他陣営もダイユウサクに対して警戒してレース展開が変わり、ダイユウサクが勝てなかったのではないか。熊沢騎手にプレッシャーが掛かって良い結果を出せなかったかもしれない。
逆に14番人気だった事から熊沢騎手自身が気楽だったとインタビューで回答していたり、実力の隠れ蓑になっていた可能性もある。
そしてこの時のマックイーンがいなければダイユウサクが1.1秒を更新更新しても『マックイーンがいたらダイユウサクは負けていた、もっと早く完走していた』と言われたと思うし、トウカイテイオーや同年の菊花賞を制したレオダーバンが怪我してなければ16頭のフルゲートになっていたからダイユウサクは出走が叶わなかった。とか色々考えていて、最終的にはダイユウサクは集団幻覚だったとか言い出す始末。
あの時の有馬記念はマックイーンが勝っていたのに、皆の目には実在しない馬が写っていてレコード記録で勝利したことになっている。その影響は写真や映像にも現れていて、熊沢騎手は有馬記念に出たと思い込んでいる人だとかアホみたいな展開になっていたんだよ。
そんな中で自分が描いていた小説の中で、ミルワカバがレースを一つの舞台と表現するんだよ。ミルワカバは途中までは自分が主役だと思っていたけど、実際はオグリキャップ主演作品の引き立て役だった。自分に負けることすらオグリにとっては予定調和に過ぎなかった。3年に渡って皆んなで『オグリキャップ』と言う舞台を演じていたんだ。とプレクラスニーに語るシーンがあったんだけど、果たしてオグリキャップは主役だったのだろうか。
実はオグリキャップもダイユウサクの引き立て役だったかもしれない。1987年から1992年の競馬界はダイユウサク一頭の思惑通りに動いていた可能性に至り、色んな点が繋がっていき…今書いている作品では文才の無さも含めて、今まで3年かけてダイユウサクの全容の輪郭を捉えたつもりだったが、それがほんの一部に過ぎなかった事に気づいて…脳がパンクしたので作品は中断することになりました。もっとネタを練ってきます。以上