かめ新聞 -120ページ目

ペリアンと籐の椅子

 河井寛次郎記念館にあった籐の椅子。たぶん彼のデザイン。28ミリ以上の太い籐を太民(ターミン)と言うが、この太民の2つのマルが決してグッドなプロポーションではないし、無骨で部材も多すぎるなぁ、という第一印象。でも気になる。

 実は河井はシャルロット・ペリアンに多大な影響を与えている。コルビュジェの元を離れたペリアンは1940年に始めて日本を訪れる。その時に河井宅を訪れた彼女は、竹製家具を研究していた河井の思想に共感を持ち、竹や籐の民藝に惹かれていくことになる。その精神はペリアン、柳宗理、剣持勇、渡辺力へとつながっていく。

 ペリアンはこんな言葉を遺している。「あなた方は我々にない恵まれた地位においでになる。・・・そういうことができるのに、何を苦しんで我々欧州人が大きな重荷に苦しんだものをお真似なさる愚をあえてするのでありますか。」

河井寛次郎


 京都の東山にある河井寛次郎記念館を訪ねた。柳宗悦らと民藝運動を進めた人だ。陶芸家にも関わらず自ら設計した住宅兼仕事場が記念館になっている。最近触れていなかった、やわらかい光が注ぎ込む空間がとてもとても印象に残った。写真でうまく伝わるだろうか。この光を忘れてはいけないのだと確信を持って帰ってきた。

 お孫さんが学芸員をされていて受付にいらっしゃった。河井は、人間国宝も文化勲章も断っている。その理由を聞かれて、彼女はこんなふうに話している。
 「一つは、人間が人間をランク付けすることのナンセンスさ。二つ目は、自分ひとりでやっている仕事ではないということです。陶器は分業で、土を調達する人、薪を調達する人、窯を焚く職人さん、割った破片の後処理をする人など、いろいろな人々の力で成り立ちます。ましてや土を自然界からいただき、木や火のおかげで仕事をしているのだから、自分ひとりが賞をいただくわけにいかないと思ったんでしょう」

 河井らしい言葉が残っている。
 整った物の物足りなさ
 行き届かない物の救い
 人に見られない喜び
 誰にも知られない自由

ヒルズとコンビニ

 「セキュリティ」という言葉をよく聞くようになった。マンションや学校を設計する際にもセキュリティは求められる。大きな地震災害があるたび、惨い事件が起こるたび、ウイルスが広まるたび、セキュリティ強化はどこまでいけば気がすむのか止めどもない。

 でも、どうやらセキュリティにもいろんな解釈があるらしい。ホリエモンが以前六本木ヒルズに住む訳をこう話していた。「出入口がとにかく多い。だからマスコミから逃げやすいんだよ。」彼にとっては出入口が多い程セキュリティは高いらしい。

 コンビニでは、立ち読みしただけでもありがとうございましたと言われて恐縮する。ガラス張り、立ち入り自由にすることで夜間アルバイトのセキュリティを守っているらしい。

 気密性が高まったせいでシックハウスは増えた。超高層という垂直袋小路は一方向避難しかない。入口を少なくすれば異物が入りにくいが、出口も少ない。

流行建築通信16/S・O・S

 
 男は狼なのよ 気をつけなさい
 年頃になったなら つつしみなさい
 羊の顔していても 心の中は
 狼が牙をむく そういうものよ
  ピンクレディ(1976年)

 もう30年前になるピンクレディの歌は、なぜか今の時代をいつも打ち抜くのだ。

 消費者が現場を見ない。これにつきるのではないかと、昨今の社会問題を見聞きする度に思う。野菜がどうやってつくられているか。卵がどんな環境で生まれているか。牛や豚がどんな環境で飼われているか。BSE問題も、鳥インフルエンザも、現場を見れば想像がつく。牛丼屋で豚丼を出されて安全だと喜んでいる場合ではない。未だ決着をみない偽装マンション問題とBSE問題を突き詰めると同じところにたどりつく。無関心な消費者とそれに便乗する生産者の構図だ。今日もまた誰かぁ乙女のピンチ!

 この人だけは 大丈夫だなんて
 うっかり信じたら
 ダメ ダメ ダメ ダメダメよ
 S・O・S S・O・S

剣持勇のスツール

 続・剣持勇と親父の椅子で、剣持のスツールを作る籐職人を紹介した。彼のアトリエには、剣持勇デザインの籐スツールのもうひとつの定番商品があった。スツールS-304だ。ホテルのロビーなどで使われていることが多い。これが実に座りいい。
 ところで剣持勇は、あのおなじみヤクルトの容器のデザインをした人としても知られている。

吉阪隆正

 今日は、最も好きな建築家と言っていい故吉阪隆正の誕生日だ。1917年2月13日生~1980年12月17日没。建築家でもあるが多くの著書(南洋堂書店ウェブショップ参照)も残しており、彼から多くのことを学んでいる。もちろんお会いしたこともないが、自分の両親のことよりも詳しいかもしれない。おかしなもんだ。

 2004吉阪隆正展---Takamasa YOSIZAKAで企画から関った。この春からその巡回展2006吉阪隆正展を京都(3/22-5/31)と九州(6/10-24)で企画しているので、最近はそちらでも忙しい日々を送っている。また、詳しい日程が決まり次第、お知らせします。



 2004吉阪展に合わせて雑誌季刊まちづくり5号のなかで、「私たちはどこにいるのか?吉阪隆正曼荼羅によるまちづくりの現在」として共同執筆しているので紹介しておきます。

流行らないんです、そういうの

愛用のアイテムがどんどん時代から取り残される。
アンプの調子が悪くて、メーカーに来てもらった。

メーカー「もう20年ちかく前のですね」
メーカー「長い間ご愛用いただいてありがとうございます」
かめ  「レコードの音だけが出にくいんです」
メーカー「これ、もう寿命ですね」
かめ  「修理したらいくらくらいかかりますか?」
メーカー「もう部品がないんですよね」
かめ  「えっ?」
メーカー「8年くらいたつと部品は作らなくなるんですよ」
かめ  「えっ?」
かめ  「8年って、これ20年目だよ」
かめ  「それじゃ長く愛用したくてもできないじゃないですか?」
メーカー「そういうことなんですよ」
かめ  「・・・・・」

直すより買い替えた方が安いというのは、聞いたことがあるが、
自分とこの製品を直すことも出来ないとは、どういうことなんだ。

4000回のダンス


H・あなたはいったいどこからきたの?
T・いつも誰かに憧れている、だから主体性なんてありません
M・主体性なんて持っちゃダメ
T・私が私にとっての例題
T・私は劣っているんです
T・自信が根拠になったことはありません
M・よくも整理しないまま踊ってきました
M・句読点やセンテンスで分けたくないのね
T・分裂したい
H・本当にこの花が美しいと思った時、ありがとうって言える?
M・環境は引用じゃない、あるから踊ってる
T・踊りだって言える踊りは何?
H・田中くん、あっちに行くの?

T・田中泯
M・松岡正剛
H・土方巽

松岡正剛講演「日本人の面影」が桜座であります。
桜座公式ページ

T・人の振り見て我が振りなおせ

みのむし2号

 先月27日の籐は吊れ!~みのむしの記事を縁にして、かめ推薦の籐製品『みのむし』をご購入いただきました!そのお礼を兼ねて、写真を送っていただいたので紹介します。『みのむし2号』と名付けて、とても喜んでいただいているのが写真からも伝わってきます。萌絵さん、どうもありがとうございました。(萌絵さん>もし足がいらなければハサミできればいいですよ)
 今後とも、お気に入りの籐製品をたくさん紹介していきます。

またやっかいなはなし


 集団のレベルを保つための最大の障害は、「世代交代」なんだろう。
 世代交代のリスクを『型』をもつことで越えていく手は確かにある。柔道や剣道、茶道に華道といった『道』とつくものには『型』がある。ただ、型によって『家』の品格を守ろうとするやや保守的な手段だ。落語などの世界もそうだが「型破り」はお家破門を意味してしまう。
 文字で遺し伝えることは形骸化につながるとは気がついていたんだろう、すべての伝承は口伝となった。トヨタやホンダでは、組織理論の本が本屋にもあふれている。あれではいずれ形骸化、弱体化の道を歩むことになるのか?
 この先はいつでも混迷。夜は長い、人生は短い、お酒でも飲むか・・・・・