またまた武術の話

僕は実戦、実戦、と言うものの「実戦経験」はないんです照れ

街を歩いてて誰かと肩がぶつかった時に、とっさに「チッ!」と舌打ちする人と、とっさに「あっ、すいません」と声が出る人がいますが

僕は後者の人間ですので、喧嘩なんてものは妄想の中でヒグマやゾンビや宇宙生物(強い)と戦うくらいのもんですキョロキョロ

もちろん一民間人なので喧嘩以外の実戦も当然ないです。

おそらく現代の日本人のほとんどの人はそうだと思います。

え?若い頃は結構ヤンチャしました?
酒と女と喧嘩に明け暮れてました?

まぁ、そんな人もいるでしょうけども...ニコ


で、前もここで書きましたが「実戦」とはなんぞや?という話

日本は治安が良いので想定する実戦も個人によって様々ですが

身近に「実戦」がある地域の人なら実戦の定義は一つです。

隣の部族と土地の奪い合いをしてるなら、隣の部族との抗争が「実戦」ですし

自分の街に外国の軍隊が攻めてきてるなら、それに抵抗するのが「実戦」です。

また、仕事柄「実戦」を身近に感じる職業もあるでしょう

警官には警官としての「実戦」があるし
軍人には軍人としての「実戦」があります

警官の想定する実戦と、軍人の想定する実戦が同じものでない事は理解出来ると思います。


相手を怪我させずに制圧するのが実戦
相手を殺傷するのが実戦
要人の命を守るのが実戦
戦いを回避し己の身を守るのが実戦(これを実戦に含めるなら僕も実戦経験はあります照れ)


つまり「実戦」は一つではないんです。


武術の修行を考えた時に

特定の「競技」のルールに特化するのは良くない、とは何度も言ってますが

それは、特定の「実戦」の想定に特化するのも同じ事かと

競技格闘技に慣れすぎて金的の防御を失念する
逮捕、制圧に慣れすぎて打撃の攻撃を失念する
錯乱した人への対応に慣れすぎて冷静な攻撃をする人に戸惑う
武術をやってるせいで「逃げる」という選択肢を忘れて無駄に戦おうとする

「競技」でも「実戦」でも特定の想定に特化するなら、視野を狭めるリスクは同等にあります。


もちろん身近に「実戦」のある人は、その「実戦」を最優先するべきですが。

その「実戦」はあくまでその人にとっての「実戦」でしかないんです。

逆に身近に実戦が無いからこそ、机上の空論としての「実戦」を広い視野で捉える事が出来る、ってのも無意味な事ではないんです。


詭弁のように聞こえるかも知れませんが...


世界中に格闘技はありますけども、日本の武術が異常なまでに突出して優れているのは

天下泰平の江戸の世が300年も続いたから、だと僕は考えているのですお願い

実戦(いくさ)が無かったからこそ、剣術が磨かれ、多くの達人を生み、それが日本の武術を深化させたと僕は思っています。

戦があれば、馬術、槍、弓、鉄砲、体力、胆力(それと運)がものを言う世界となり

刀などと云う「実戦的ではない武器」など二の次、三の次...

体力のある若者が活躍し、達人など誕生する間もなく人が死んでいく...

※指揮官は別として現場サイドの話


日本の武術(刀の理合い)そのものが「実戦」からかけ離れた

嘘から出た実みたいなもんですキョロキョロ



何が言いたいかと言うと

「実戦」の想定なんて人それぞれで

実際に起こりうる「実戦」も個々人で違う

同じ局面でも個々人で判断、行動は違う

って事です。

みんな自分が正しいと思う事を頑張れば良いんですウインク


で、僕は僕の想定する実戦に対応する為に、今しばらくは「間」を磨くんです。

クイズの正解がわかっていても「はや押し」で負けたらクイズでは勝てません。

どんな優れた技を身に付けても、「間」で負けたら意味がない...

孫子の兵法に

巧遅拙速

って言葉があるんですが(確か...)

遅くて優れてるものより稚拙でも速い方が有用である。

みたいな意味ですが、この速い遅いとは武術に於いては「スピード」の事ではなく「タイミング」の事だと僕は理解していて

正解は知ってるのに回答権が貰えない...ってよりは、お手つきをするぐらいの人になろうかと


まぁ、ゾンビウイルスがパンデミックを起こすか、宇宙生物(強い)が攻めて来るかでもない限り、僕は実戦とは無縁だと思いますチュー