罪悪感の手放し | みのやん徒然日記

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バリバリの3次元を生きたおっちゃんのスピリチュアルシフトへの道 その7

 

久々のブログです。

さらにシフトは続いており、その土台になっていることを今は書いています。

 

並木良和さんの『次元上昇する魔法の言葉111』KADOKAWAの中で、罪悪感と無価値観は我々が最初に地球におりてきたとき刻み込んだ重い周波数だということです。

つまり、この二つは今生における2大テーマだといえます。

 

私の場合、罪悪感という課題のための設定は私の妻でした。

妻は20歳のころから自己免疫疾患の難病を患いステロイド漬けとなっており、一時期は骨粗鬆症が背骨がポキポキ折れて単独歩行はできなくなり、ほぼ寝たきり状態で介護保険も適用されました。

がしかし、自己注射のフォルテオで奇跡的に復活し、今では毎日裏庭の山を2万歩近く歩けるようになりました!

驚きの回復です。

とはいえ、リューマチ傾向は強く、いまでは両手の指が左右上下に曲がり、どこを指さしているのか不明なぐらいの方向に曲がってしまいました。

 

知り合ったときからこのような難病指定を受けていましたが、同じカトリックどうしであったので、当時は神様から与えられた結婚と思い、なんら結婚にためらうこともありませんでしたねえ。

まあ、当然周りでは「なんでわざわざ」という反対もありましたし、私自身も今から思えばメサイアコンプレックスという心理学用語で呼ばれるような心理状態であったともいえますが、自分自身ではなんら不思議でもなんでもなく、結婚して当たり前という感覚で結婚しました。

ですので、親も最初は反対表明をしていましたが、すぐに受け入れてくれ、すんなりと結婚に至ったのです。

 

さて、Wikipediaによると、「メサイアコンプレックス(Messiah complex)とは、キリストコンプレックスまたはメシアコンプレックス、救世主妄想とも呼ばれる。個人が救済者になることを運命づけられているという信念を抱く心の状態を示す言葉である。狭義には誇大妄想的な願望を持つ宗教家などに見られる心理状態を指すが、広義には基底にある自尊心の低さを他者を助けることからくる自己有用感で補償する人々をも含める」とあります。

これを見ると、ほんと無価値観を補償するための行為ともいますよねえ。

まさに自分のことですよね。

 

統合を行ない、強い自己否定や自己信頼の薄さといったような自分の内側にあるネガティビティについて実感を持って理解できてからは、まさに今生での結婚はメサイアイコンプックスが原動力になっていたんだと実感しました。

ただし、これは心理学的な理解です。

 

さらに統合が進むと、今回の結婚は自らの設定であり、それは罪悪感の手放しがテーマなんだということを実感しました。

3次元世界でバリバリに働いているときには結婚における罪悪感はありませんでしたが、私の失敗で仕事を失い家を失い地位名誉を失いお金も失ったときに、まったく落ち度もなく機嫌よく暮らしていた妻を道連れにしてしまいました。

そのような退職であるので、それによって離婚されてもおかしくなかったのですが、それでもなお一緒にいることを選択してくれました。

ですので、こちらの罪悪感は半端ではなかったわけです。

特に難病を患い私が守っていくという立場でのスタートでしたので、それはそれは大きな罪悪感となっていました。

 

まさにこの罪悪感との付き合いが今生の大きなテーマであり、シフトしていく上でのどえらく大きな重しというのが、この罪悪感でした。

依存と自立という大テーマとそれに匹敵する罪悪感の手放しが、私にとっては今生での2大テーマとなっていたわけです。

そのための設定が今回の結婚だったのですねえ。

 

統合をしていく途中まではこの罪悪感に蓋をしたまま進めてきましたが、自分の「こひしたふわよ」を選択し、自分に一致しようとすればするほどこの重しが目立ってきました。

特に、泊りがけの合宿ワークショップに出るときなど、家を空けて不自由な妻を一人にするときに、この罪悪感がしっかりと重しになっていることを実感しました。

手が不自由で自分ではビンの蓋も開けられず、重いものも一人で持てない状態の妻を、自分の「こひしたふわよ」を優先して一人にしておくことの罪悪感。

これはほんまに大きな罪悪感でした。

 

がしかし、虹ミタマさんのリトリートであまのゆきえさんにリーディングをしてもらったときに、妻の魂はこれまでの人生の中でのつきあいから私に心底感謝しているし、私がやりたいことをやって喜ぶことを妻の魂は望んでいる、というメッセージをもらい、大変救われた気がしました。

そこから罪悪感の手放しを進めることとなったのです。

 

また、妻はまったくスピリチュアルについては無関心で、むしろ反対しています。

まあ、現実感がないものですし、目に見えるわけではないし、3次元的にはあやしいことだらけですし、多くの家庭の中では同じような反応があるものと予想します。

ですので、好きなことしかしていない私を見て、もっと堅実なところで働けばいいのにとか、あんたの言うてることはわからんとか、こちらが自分軸で動くときにはよく言われたものです。

自分の中に怖れや不安があるとき、また罪悪感があるときには、泊りで出ると言えばまた文句を言われるに違いない、どうせまた責められるに違いないという思い込みをこちらが先に作るので、実際にそのような妻の反応が生じます。

これは創造主である自分が作り上げた反応であるわけです。

それを魂の相棒から指摘されたことから、まずは自分の中の怖れ・不安・怒り・罪悪感・無価値観・依存等々を手放していきました。

それと並行して、妻に報告する前に怖れがあることがわかると、これが自分の今の限界かと自覚し、並木良和さんから学んだその限界を押し倒して突破するワークをその場で行いました。

これらによって、どんどん波動が上がり、妻にもほぼ躊躇なく日程や行動計画を伝えられるようになったところ、なんと、妻側の反応が変わってきたのです。

文句の一つ二つは出るにしても、まあしゃあない、というぐらいになったわけです。

このようになってくると、罪悪感を手放す時期に入ってきました。

つまり、不自由ではあっても、まだまだ介助を必要とする生活ではなく、自分でできる自立的生活状態にあるので、短期間であれば一人にしても大丈夫!と思えるようになってきたわけです。

実際に、そのようになり、泊りの計画を伝えてもさほど驚くことがなくなってきました。

さらには、私が先に死んだとしても、大阪で鍼灸院を運営している娘のところにいけば大丈夫か、と思うようになってからは、さらに罪悪感を手放すこととなりました。

さらにさらに、最近受けた前世療法で所詮最後は一人であり、自分が創り出しているだけ、ということを理解してからは、何を選んだところで大丈夫、というようになり、罪悪感を手放していくことになりました。

この前世療法体験については、別に書きたいと思います。

このように、まさに身近にいる私の心の内を映し出す鏡が妻なんです。

 

このように妻のおかげで、世界は心の合わせ鏡という法則をしっかりと体験できましたし、罪悪感の手放しが可能になりました。

本当に大きな貢献を妻はけなげにしてくれました。

この統合的な名女優である妻に、心からありがとう!!と今では感謝しています。

もちろん、今でもことあるごとに私へのお試しをちゃんと仕掛けて、私がシフトしくことについて間接的に援助してくれています。

本当にありがとう!!