「そういえば、講師が最初のギターは直感で選んでいいって言ってたな」
思い出したようにナカジが言った。
「へー、そっちもか。俺たちが素人だからって手ェ抜きすぎだよなぁ」
豆腐にかけ過ぎた醤油を避けながらシュウジが笑って言った。
「はじめは俺もそう思ったんだけど、講師が言うには、品質や機能も大切だけど、音はアンプで調節できるし、弾いてて楽しいのが一番なんだって。だから見た感じとか、好きなアーチストの真似とかでいいんだってさ。
考えてみれば工業製品だし、売り物になってる時点で機能的には十分ってことなんだろうな。講師が言うには、とにかく練習するのが一番の上達のコツだから、そばに置いてウキウキして、触りたくなるのがいいんだって。一理あるだろ」
「へへへ、そそられてしょっちゅう触りたくなるってな」
ツッタカが焼酎に入れた梅干を潰す手を止め、両手の指をひらひら動かしながらにやけた顔で言った。
「ははは、そうそうそう。なんか、真面目に“軽いノリでいいんですよ”って感じだったな。それ聞いてたらさ、なんか、音楽自体が軽くやっていいんだって思えてさ。目からうろこっつうか、カルチャーショックだったよ」
ツッタカをいなし、焼酎を一口飲んで続ける。
「なんかさ、つい何に対しても“真剣にやらなきゃいけない”とか、“深刻さがないとダメ”とかって思っちゃうじゃん」
「世間がずっとそうじゃん。ナカジは真面目だから一層、響いたんだよ。でも、バンドなんて遊びなんだから、楽しくやればいいんだよ。そういえば、割引するって言ってたじゃん」
ツッタカが言った。
「でも、勧めて来るのは値段もそれなりだろうから下手にきけないよ。そっから割り引いてもしれてるし…… 結局、決め手が分かんないんだよな。そう簡単に買い換えるもんでもないからなぁ」
ナカジが豆腐をつつきながら、独りごとのように話していると、シュウジが自分のタブレットを操作して2人の前に差し出した。
「この前見つけたんだけど、こんなのがあったぞ」
画面には初心者向けのギターと備品のセットが並んでいた。
「なになに…… 『エレキギター初心者向け12点セット』?!」
覗いたツッタカが素っ頓狂な声を上げた。
「ギターで12点もセットって何?」
ナカジも皿をどかして奪うようにタブレットを引き寄せると、画面を拡大させて凝視した。説明文がぎっちりと小さな文字で書かれている。
「ギター、ソフトケース、アンプ……ああ、そうだなあ、エレキにはアンプがいるんだったな」
読み上げながら思い出したように呟く。
「……ピック、ピックケース、シールド、シールドって何だ?」
タブレットから顔を上げて2人を見た。
「さあな。溶接するときのあのお面か」
シュウジがサワーを飲み干しながらのんびりと答えて、お代りをカウンターの大将に頼んだ。
「それじゃ片手が塞がっちゃうじゃん。安いと火花が飛ぶのかよ。違うよ。ツッタカ、何だこれ」
「さあな、ギターに貼るシールかなんかかな? “ド”だからもう貼ってあるのかもな」
ナカジの上から、画面の文字を読みづらそうに目を細めながら言った。
「え、ドって何?」
「受け身の“ド”だよ。スモークドチーズとかの“ド”だよ」
相変わらず分かったような分からないような答えが返ってくる。
「それもセコイなー。貼ったシールまでセット品扱いかよ」
半笑いのシュウジも分かっていないようだが、そもそも深く考えていない。
「ピックで傷つくからとか? でも、今日のスタジオのギターにシールなんか貼ってなかったよなあ」
ナカジが今日のギターを思い返しながら言った。
「あー、でも裏とかかもよ」
ツッタカはふざけていないのだが、他人にはいい加減な発言にも聞こえる。
「別に、貼ってあるならそれでいいじゃん。必要があるから貼ってあるんだろうし」
こだわりすぎるナカジと付き合い続けるツッタカにシュウジが飽きて先へと促す。
「何を防ぐのか知らないけどシールなんかで大丈夫なのか。やっぱ安いものはそれなりか……」
ナカジはいぶかしみつつ、続きを読み上げた。
「ストラップ、スタンド……」
んー、言われてみればだ。考えてみれば使わない時、立て掛けるスタンドもいるし、教室のギターには最初から付いてたから気にしてなかったが、ストラップも別売りなんだ。考えてみれば店売りのエレキにもついてなかった。
「取扱説明書、練習用DVD…… ウチのテレビは内臓のハードデイスクだからDVDじゃ見れないや……」
ナカジのパソコンは古く、CD-ROMしか読み込めない。それ以前に、何十年も使わずに放ったままなので無事に起動するかもあやしい。
「へー、至れり尽くせりだなぁ。で、いくらなの?」
ツッタカの声にナカジが再び画面に目を落とした。
「え、9800円?……だって!」
驚いたナカジが上げた顔を戻してもう一度確認して叫んだ。改めて見たら一番大きな文字だった。
「こんなにあってそんなに安いの? ベニヤにタコ糸のおもちゃじゃないんだろ、大丈夫なの?」
ナカジはすでに疑心暗鬼だ。どこにどんな落とし穴があるか分からない。恐るべし、ネット通販。
「くくく、新品だぞ。こっちなんか、18点もセットになって、今なら何と1万2800円だぁ!」
シュウジが楽しそうに声を張って新たな画面を見せた。どっかの通販番組みたいだ。
さらにみっちりと商品と文字が並んでいる。ギターに至っては色違いがずらりと並び、“お好きな色が選べます!”とある。細かく見ると、さっきのラインナップの他に譜面台や予備の弦、あげくは汚れを拭く布までついている。
タブレットを手に取って画面を進めていくと、こうしたセットが他にもいろいろ出てきた。
「こういうのって、結構あるんだな」
脇からのぞき込むツッタカも心から感心している。
順を追ってそれぞれのレビューを読むと、それなりのコメントがあれこれ載っていて、どのセットも、買ってる人はそれなりにいるようだった。買っている人が少なからずいると分かると何となく疑いの壁が薄くなってくる。
「……」
しばらく眺めてシュウジに戻すと、ふうと一息ついて、ぬるくなった焼酎を一口飲んだ。
「お前の方はどうするんだ?」ナカジがシュウジに訊いた。
「この分だとドラムセットもいろいろありそうだな」
ツッタカもネットのセットが気になるようだった。
「俺か、おれはもう決まってるよ、これ!」
シュウジが自信満々に画面を出して見せた。
『ドラムステック 1セット1000円・今月いっぱい送料無料!』。
「講師がな、最初の内はその辺の机とか雑誌を叩いてればいいって。ギターと同じだな、いつでも気が向いたときに自分の膝とか新聞紙とかで練習して、スタジオで本物を叩くと。で、あちこちのドラムを試してから自分に合ったのを考えてもいいでしょうって」
「確かに。案外、あいつら、良心的なんだな」
ツッタカが言いながら焼き鳥に手を伸ばした。ナカジも深く感心していた。言われてみればその通りだ。焦って買うこともないんだ。
「なんなら、100均で菜箸でもいいんじゃない。合間に鍋も食えるぞ」
からかうようにツッタカが言った。半分は本気だけど。
「あー、その手もあるか」
シュウジが添え物のトマトを口に放り込みながら考えるように言った。
「模擬の模擬じゃ、練習にならないだろ」
ナカジが咎めるように言った。そこまで割愛してたら、遊びにもならないうちに消滅しちまう。