「はい! では、敬老の日特別企画『お達者ヒーロー・ヒロイン登場』後半は、こちら、南三町にお住まいの中山田新次郎さんでーす!」
沈黙の中に、いきなり張りのある女性の声が響いた。つられて一斉にテレビを見上げると、ベテラン女性アナウンサーが満面の笑みで作務衣を着た小柄な老人と並んで立っていた。
「新次郎おじいちゃん、お歳は、おいくつ、ですかぁ?」
老人の顔を覗き込みながら、ゆっくりと文節ごとに切って尋ねる。
「は、はい……ハチジューハチです!」
マイクを向けられた老人がこちらを凝視したまま少し上ずった声で答えた。極度に緊張していて、直立の姿勢がわずかに揺れるたびに素早く“気を付け”をし直している。ローカル局の生放送の情報番組だった。
「さぁ皆さん、ここでクイズでーす。新次郎おじいちゃんの、特技は何でしょう?」
女性アナが手持ちのマイクをグロスをたっぷり塗ったどピンクの口許に戻し、他の出演者に向かって声を張り上げた。
スタジオには、もう1人のMC、男性アナウンサーと見たことのない女性アイドル、前のコーナーで解説していた、過去2回ほど全国放送に出演したことのある地元大学の経済学部准教授がほのぼのとした作り笑顔を浮かべている。誰のことも知らないが、何となく役割は理解できた。
「……」
「……」
「書道、かな?」
男性アナがフォローするように大きな声で答えた。
「いいえ、違いますぅ。さぁ、何だと思います?」
女性アナウンサーがにっこりと首を振って“さぁ”で准教授を凝視した。見開いた目が全く笑ってない。
「んー、んーーー、そ、そば打ち!」
准教授が人差し指を立てて叫んだ。ナカジには言い終えた准教授が嬉しそうににやける理由が測りかねた。
「いいですねぇ。近づきましたよぉ!」
“よぉ!”で女性アイドルを鋭い視線で射貫く。
「……」
「な、なんだろうねぇ、カスミちゃん、何だと思う?」
答えないアイドルに、男性アナが腫れものに触るように質問を重ねたが、長く垂らした前髪で頬の3分の2を隠したカスミちゃんは全く違う方向に目を向けている。
潜めたつもりの「え何? そこにないやつ言うの? モツ煮とか?」はあまり小さくなかった。
「正解はお料理です!」。
被せるように女性アナが叫び、同時に料理の載った台が勢いよく押し出されて登場した。男性アナが様子を伺うと、カスミちゃんはアヒル口で右斜め下45度に顔を傾け、カメラ目線で“決め顔”をキープしていた。
「どうですぅ、おいしそうでしょう。こちらすべて、新次郎おじいちゃんの創作お料理なんですよー。新次郎おじいちゃんからご紹介していただけますかぁ」
「は、はい! これが『馬肉と豆腐のピリピリ煮』、これが『イワシとバナナのつみれ汁』、右のが『スイカの皮の古漬けとたたきまぐろのトマト和え』、です!」
「うわー、おいしそう!」
出演者は目を細めて口々に驚嘆の声を上げるが、画面にはどことなく雑な仕上がりの、うまそうにもまずそうにも見える料理が並んでいた。器も老人宅のものだろう、地味で統一感もなかった。
「えっと、テレビをご覧の方には右と左が逆ですね。おいしそうでしょう。新次郎さんのお料理は、意外な素材を組み合わせて創作されているんですよー。新次郎さん、お料理は、いつ頃から、やられて、いるのですかぁ?」
「はいっ、70の定年を過ぎてからですね。毎日家にいるようになってから、女房が、たまにはお父さんのお料理も食べたいわって、ねだられましてねぇ。
その時初めて作ったのがハムエッグだったんですが、たまたまコショウと間違えて山椒をかけたらそれがすっごく旨いって、へへへそりゃもう女房が目ぇ丸くして……」
誇らしげな笑顔で答える。
「奥さん、上手いわね」
マサエがテレビを見上げながらつぶやいた。
「まあ、お優しい。奥様思いなんですね。それまではどのようなお仕事をされていたんですか?」
褒められて老人は頬を赤らめ、さらに嬉しそうに口を開いた。
「はい、私は40年間、化学メーカーで営業一筋にやってまいりました。会社のため家族のため、そりゃもう労を惜しむことなく、まさに粉骨砕身でやってきました!」
打合せ通りなのだろう、口調も滑らかだ。
「その頃は日本経済も今と違った勢いがありましたね」
男性アナが合いの手を入れた。
「ええ、ですけど、いや、ずーっと厳しかったですよぉ。社内での競争も厳しかったですから。中には足を引っ張るような奴もいましたし。
そう、中でも特に西支社から来た押尾昭介課長は顔も性格も鬼そのもので、仕事にも厳しかったけど何より性格が悪かったからそりゃもう、課の連中みんな振り回されましたよ。陰でみんな『クソ鬼』って呼んでました」
よみがえった記憶で老人の眼の色が変わった。
「本当にあいつは嫌なクソ野郎で、仕事は丸投げ成果は丸取り、気が弱いとみると男も女もなくいじめますからね。やり方も陰湿でしたよ。正しいことでも理由をつけてねちねち文句を言い続けてね、ボスを気取るんですよ。
でも“上”が来るとくるっと態度を変えてこびへつらいやがる。口を開けば嫌みの連発で女の子もみんなはらわたが煮えくり返ってたから、あいつは雑巾汁入りのお茶を何杯飲まされたか分ったもんじゃない。
っていうか、まともなお茶なんか出なかったんじゃないかな。女の子は湯呑の色って言うけど、明らかに他のとは色が違ってたからね。
中でも40近くで寿退社した社内で一番弱々しかった子なんて、何か食い物を出すたびに見えないところに鼻くそと歯くそを擦り付けてたっていうんですから。いやー、人間ほんと、見た目だけじゃ分かりませんよ。
これだって彼女が辞めてから何年も経って偶然、人づてに聞いたんですからね。いやー、最後まであんなに大人しかった蒲郡さんがぁと、そん時は他人事ながらわたしも背筋が凍りましたよ。
だけどそんなのを平気で飲み食いして腹も壊さなかったんだから、さすがクソ鬼ですよ。わははは」
「えっと、えーっと、新次郎さんは全国を股に、日本の高度成長を支えた化学製品を販売されていたんですよね!」
女性アナが必死に流れを取り戻そうと話を振った。老人はすでに予定の時間を超えて喋りすぎていたが、歯くそと鼻くそで料理に移るわけにはいかなかった。
「ええ、ええ。そうなんです。そりゃもうライバル会社との競争が激しかったですからねぇ。それこそ日参ですよ、24時間、昼も夜も、休みなんて関係ありませんから。ゴルフに麻雀、人によってはストリップ小屋も付き合いましたよ。顔を合わせて付き合いを深くして情報とアッピールね、そこがまぁ、腕の見せ所ですよ」
目が輝き、右手で左の腕を軽く叩いて見せる。
「ま、まぁ大変!」
棒読みにしかならなかったが“それが、定年後はお料理に……”と女性アナが続けようとしたが、またもスイッチが入った中山田老人は止まらなかった。
「誠心誠意お得意様に対峙して満足していただくためたくさん勉強もしました。特に孫子の兵法は役立ちましたねぇ。まずは敵を知る。これに尽きますよ! 昭和38年11月の商戦は、“晶萩の勝利”として長く語り草にもなりました。
ママも女の子も非常に協力してくれましてね。まぁ、それなりの事前準備は必要ですがね」
人差し指と親指で輪を作ってにったりと笑った。再度女性アナが言葉を挟もうとしたが“熟練の昭和の圧し”の方が強かった。
「お得意さんによっては、スタイルのいい細身よりでっかく太った女性が好みだったり、顔より脚が大事とか。まあ、私には理解できませんが人の好みなんてそれぞれですから。“晶萩の勝利”のときは尻と太腿でしたから前もって女の子にぴったりしたミニス……」
「はい!! とにかく、昼も夜も一生懸命頑張ってこられた企業戦士ということなんですよー!」
女性アナが老人を超える声量でぶった切った。
「そして定年後! ご苦労をかけて来られた奥様のために! お料理を始めたんですよね!」
取って付けたような“奥様のご苦労”が何だったのか邪推しそうだが、厳しいまなざしの女性アナの笑顔がすごかった。
「あ、ああ、そうなんです」
萎れるように正気に戻った中山田老人は脊髄反射で返事をして口を結んだ。
「それで、今日は、新次郎おじいちゃんにスタジオでお料理を作っていただきまーす!」
完全に主導権を取り戻した女性アナがさらに口角を上げて宣言した。
「楽しみですねー。で、何を作っていただけるんですか?」
男性アナが目一杯の作り笑顔で訊く。
「……はい!『かんたん鯖グラタン』です!」
女性アナに背中を小突かれて、中山田老人が大きな声で答えた。目の前に材料と調理台が運ばれてきたのを見て、再び緊張し始めているようだった。
「では、新次郎おじいちゃん、お願いします。まずは何からですか?」
女性アナが直立不動に戻った中山田老人を促した。