かつにちわ〜〜✌🏾️
どうも
お久しぶりの
杉渕 優志
です✌🏾️
まずはじめに
アトリエ公演ご来場頂きました
みなさん
誠にありがとうございました
自分達の勉強の為
という前提で始めさせて頂いた公演に
あんなにも多くの方が
足を運んでくれたこと
心から感謝しています
本当にありがとうございました
自分としては多くの課題と
向き合うことができた作品でした
これからも
Kamakaji Lab
そして
GROUP THEATRE
をよろしくお願いします
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
さて
タイトルにも書きましたが
3月の20日に東北は
宮城県に行ってきました
人生4回目の東北
それまでにも何度か
秋田や青森は
おばあちゃんの実家
だったりでいきました
でもそれは物心つく前の話で
だから
そう考えると人生4回目の東北
1回目は友達の実家に行った時
仙台に
あれは確か
東日本大震災から3年後くらいの話
仙台の近くの名取ってとこだったかな?
内地であんまり震災の
影響はなかったとか
家具は倒れたりなんだりは
あったらしいですが
でも、その時に友達のお母さんに
連れて行ってもらった港町は
目を覆いたくなるものでした
どこっていう明確な場所を
覚えてないのですが
車が海に近づくに連れ
街の風景が変わっていくのを
感じました
『ここまで津波が来たの』
運転しながら話してくれる
お母さんの声に
微かなノイズが混ざり
出したのを感じながら
ただただ外を眺め涙を
流していました
当時
津波が来ていないところでも
激しい地震は続くし
近くの川には
遺体が流れていたと聞きました
何より
当たり前になる程続いたのが
霊体験だったそう
一瞬の出来事に
誰もが夢だったんじゃないかと
思ったに違いない
2回目は池袋の芸術劇場で
RADIO311
をやるということで
勉強に東北へ
あれは震災から約5年後のこと
回ったのは福島のあたり
翔さんの運転で東北まで
まず行ったのが
ゴーストシティーと化した
原発付近の街
あの辺は
2011年3月11日のまま時が
止まってました
倒れた椅子
倒れた標識
人はほとんどいなかった
いたのは白い服を着た作業員くらい
その足で車は相馬市の方へ
相馬市は復興が進んでいた
『より良い街に』
そんなことを感じました
新しい建物
新しいグランド
新しいライブハウス
『これが復興』
そう感じました
でも聞いた話は
耳を覆いたくなる話ばかり
きっとそれを抱えたまま
苦痛を抱えたまま
前を
向こうとしてるんだ
3回目は6年後、南三陸へ
土肥でのRADIO311舞台前に
初めての南三陸は
何も無いところに感じた
『復興が未だ進んでない』
そんな感覚
佐藤信一さんの写した写真
心に大きな穴が空いた
たくさん感じて
たくさん泣いた
そして、4回目
石巻
大川小学校は全く手付かずでそのまま
2011年3月11日14時46分
のまま止まっていた
これだけにします
僕はカメラマンではないので
南三陸は去年より復興が進んでた
只今工事中って感じで
次行った時にはどんな
場所になってるか
楽しみにも感じた
気仙沼はもう復興どころか
漁業も開始されていて
震災の影響をあまり
感じることがなかった
『もう復興が終わった』
という感じ
まだまだ
復興しきれてない部分も
あったけど
南三陸、大川小学校
と比べたら
『復興していた』
石巻で道を教えてくれた
自転車屋のおばあちゃん
タクシーのうんちゃん
色んな人に話を聞くことができた
やっぱり
東日本大震災の傷は
人の心にあり
人の心の復興は
未だあるままという感じだった
今できることは
復興を
支えを
支援を
どんな形でも
やって行かなければならないんだと
今できることを
真剣に向き合って
やらなければならないのだと
そして
今伝えられることは
今伝えなきゃいけないんだと
4回の東北で
僕は
たくさんの愛に触れ
たくさんの悲しみに触れ
今できること
今やらなきゃいけいこと
どんなに辛くても
どんなに険しくても
逃げちゃいけないんだと
そんなことを思いました
今
役者をできてる幸せ
その幸せを感じながら
今
大切な人達といれる幸せ
その幸せを感じながら
これから
どんなことでも
乗り越えて生きて行こうと
思います
いつか
『東北で芝居がしたいな』
と
思いました
その時には
自転車屋のおばあちゃんも
タクシーのうんちゃんも
来てくれるといいなぁ
なんて事を考えながら
今日のブログはおしまい
最後に
東日本大震災のことを
テーマとした作品
RADIO311
を
大分県の臼杵市というところで
公演します
この想いを胸に
役者として
しっかり向き合ってきます
もし来れる方
いらしゃいましたら
是非お越しください
長々と失礼しました