※以前発行したネットプリント「パルプ・フィクション」には抜粋を収めました。

バーボンとジャズに目覚めた夏の日に黒人歌手の赤いルージュは

水割りをちびちび舐める渡されたアドレスなんてきっとフェイクさ

わたくしをバラ鞭ひとつ貫いて革のブーツが黒く煌めく

口枷はエナメルレッドとこしえに終わることなきソドムの宴

痛覚は意味を喪い舞台にはただ白塗りのわたくしの影

サッキュバスの腿たくましく聳え立ち絞め殺される夢をみている

いつ死ぬのねぇいつ死ぬのと囁いて白い涙をすするサッキュバス

サッキュバスは君の子宮に棲んでいて午前三時のカリニヨンを聴く

血まみれの僕を後目にサッキュバスはあわれみ色の仮面をはずす

ひと夏のパルプ・フィクション窓辺にはドミノのような街が広がる


※9月20日、青森ペンクラブ講座(成田本店しんまち店二階ギャラリー)のレジュメです。

当世若者短歌事情
木村 美映(歌人・未来山脈社本誌歌評者)

・自己紹介
 1969年青森市生まれ。弘前大学人文学科経済学部卒。元病院職員。
 1980年、第25回全国学芸コンクール小学校短歌の部佳作受賞以降、歌作を継続。
 波止場の会を経て現在は未来山脈社所属、光本恵子門下。『未来山脈』本誌歌評者。
 けやきの会代表。短歌誌『美映』編集発行人。文芸誌「青森文学」編集長代行。
 第33回全国短歌大会 優良賞
  縮小に転じた宇宙に生きているロスト・ジェネレーションの憂鬱
 平成25年度NHK全国短歌大会 入選
 平成25年度伊香保短歌大会 入選(伊藤一彦選)
 第1回河野裕子短歌賞 入選(俵万智選)
 第19回与謝野晶子文学賞 入選
 第67回青森県短歌大会 青森県知事賞 第68回同大会選者・青森県議会議長賞
 第25回青函交流短歌大会 青森市議会議長賞 第26回同大会選者
 第39回青森県短歌賞 準短歌賞
 第14回未来山脈社新人賞
 第 3回三文賞 佳作
 第20・22回ときどき歌会 ベスト・オブときどき(最高得点者)
 新聞歌壇「赤旗・読者の文芸」 入選二度
 著書「生きぬくための詩68人集」(コールサック社)へ「回向」三十首
 近刊「未来山脈選集2012年度版」へ「悪魔の証明(抄)」八首。

・アララギの終刊と結社組織の衰退
 「アララギ」終刊(1908~1997)
 角川「短歌年鑑」の統計によると (光森裕樹氏のブログによる)
  1980年…335の結社と10万人以上の会員
         ↓半減
  2012年…260の結社と4万7千人の会員
 継承すべき文学理論の喪失
 高齢化

・短歌総合誌の公募賞における「一発屋」の擡頭
  短歌総合誌五誌による主な新人向け公募賞
   「短歌研究」…短歌研究新人賞(未発表三十首)寺山修司
   「短歌」…角川短歌賞(未発表五十首)中村雅之(江流馬三郎)、梅内美華子
   「歌壇」…歌壇賞(未発表三十首)佐藤羽美 ※木村は2014年に応募(結果待ち)。
   「現代短歌」…現代短歌社賞(個人歌集を発行していない者。三百首)※木村2013年予選  不通過。
   「短歌往来」…ながらみ書房から第一歌集を発行したものから新人賞を選考。
 かつては地元や結社で賞を取ってから、総合誌に応募するものと指導されていた。
 スターを生み出すことが版元の目的、最近はインターネット系の派手な口語短歌が票を集める。結社や地方歌壇からの応募は軒並み苦戦。県知事賞受賞者でも予選通過程度。
 現在は無所属の歌人がいきなり応募・受賞している。受賞後も結社に所属せず、いつの間にか消えていることが多い。

・結社から同人誌へ
 「かばん」や「短歌ヴァーサス(休刊)」と「うたらば」・「うたつかい」の違い
  ツイッターなどで仲間を集める。内輪のなれ合い的な評が多い。
 
・かんたん短歌、ケータイ短歌、そして胸キュン短歌
 俵万智「サラダ記念日」、穂村弘「シンジケート」、枡野浩一「てのりくじら」
 生活詠・時事詠はほぼ皆無。写生歌でなく空想による恋歌が圧倒的に多い。
 虚構性が高く、歌の内容から作者本人を知ることはできない。
 文語旧仮名は読めない・詠めない初心者~中級者レベル。つまり同じ口語短歌でも、
自由律短歌などの流れとは異なる自然発生的なものに過ぎない。
 文芸というよりコミュニケーションツールの側面が強い。
 部活・サークル的感覚で横のつながりを重視する。
 イベント的なものが多く、流れが速い。
 先人の歌を読まない傾向…結社への拒否感をも内在
  ※「現代短歌」9月号86ページ、楠誓英さんの提言内容
 多くの場合「歌会」はTwitterの単なるオフ会と化している

・流通形態の多様化
 文学フリーマーケット(年二回。東京と大阪)が始まったのが契機。
 ネットプリント歌集・同人誌、折本…発表の「場」だけでなく、「謹呈」文化が形を変えたものとみて良い。(資料…私の出したネットプリント二種)
 一方、「新鋭短歌シリーズ」、オンデマンド歌集など、あくまで「謹呈」を拒否する流れもある。
 結社の指導なしに、誰もが気楽に出せるようになったぶん、粗製濫造気味。
 評論の不在、批判を極端に恐れ誉め合いに終始している(故・小高賢さんの指摘)。

・これからの結社に求められるもの
  結社所属歌人が減少する中、大手の「未来」、「塔」、「コスモス」は若手の育成に熱心で、会員を着実に増やしている。「現代短歌」7月号、大辻隆弘さん(「未来」選者)の論文より。

・最後に

秋晴れ。洗濯をしながらゆっくり心を空っぽにしていく。自分を偽るための方程式や定理、答えの出ないフィロゾフィー、そんな軛が少しずつ洗い落とされていくと、太陽の下にいた僕は、思いのほか小さい存在で。でも、と呟いてやめた。言いさした反論ともども洗濯機に投げ込んでみる。物干し台に立つと、にわか雨。僕は洗濯物を部屋に取り込み、コーヒーを淹れる。

 

どうして好きになったんだろう。

 

顔を上げると水族館にいた。あたりが暗いということは、おそらく夜間公開。なぜ自分がここにいるのかわからないままに、トンネル水槽に立ちつくしていると、人工光源の碧は徐々に闇に同化し、僕を縛っていたさまざまな軛たちが、無数の回遊魚に姿を変えていった。群れはしだいに僕から離れていき、そして僕は一尾の魚になっていた。

 

昔の恋なんて、本当は関係ないよ。

 

水族館では、オキアミの発光実験が始まろうとしていた。灯りの消えたホールに並ぶ人々の後をついていく。やがて僕に順番が回ってきて、係員からオキアミが数尾入った乳鉢を手渡された。促されるまま暗幕の中に入り、乳鉢の中のオキアミをすりつぶしていく。ちょっとした実験に付き合わされて、喪われた小さな命を思いながら。

 

君が似ていたとしても、単なる偶然に過ぎないし。

 

やがて、ほのかな磯臭さとともに、乳鉢の底が仄白く光り始めた。僕の目の前にあるのは熱を持たない光、そしてそれはオキアミの命の正体。人魂というものがもし存在するなら、きっとこういう色をしているのだろう。光は徐々に弱くなり、ほとんど視認できないほどになって、僕は暗幕を出た。

 

何であんなことを言ってしまったのだろう。

 

暗幕を出ると、そこは自宅のキッチンだった。白磁のコーヒーカップはまだ熱いまま満たされている。どうやら僕はつかの間の夢を見ていたらしい。雨はすっかり上がっていて、空には無数のいわし雲が浮かんでいた。外に出て洗濯物を干そうとして、指にオキアミの殻がこびりついていることに気づいた。

 

好きなら好きって、素直に言えば良かった。

おはようございます。中央では未来山脈社、青森ではけやきの会に所属しています、木村美映です。よろしくお願い致します。県内の大会では初の選者ですが、結社誌では専任の歌評者を務めております。よろしくお願い致します。

 今回の題詠「島」の詠草集を読んで真っ先に思ったことは、時事・社会詠の多さでした。確かに「福島」「尖閣諸島」「竹島」「硫黄島」「下北半島」など、多くの題材がありますが、その分類型歌が多く優劣を見出しがたくなる恨みもあります。ご本人の立脚点・思想が明確で、かつスローガンになっていないこと、テレビや新聞の感想にとどまらないことを選ぶポイントとしました。「集団的自衛権」に触れた歌も多かったのですが、十一音ということもあるのでしょうかはたまた個別的自衛権との峻別があいまいなのでしょうか、やや消化不良なものが多かったように思います。

 同じく戦争詠も多かったのが特徴でした。しかし、私のように戦争を経験していない若い世代が多数を占める昨今、選ぶポイントはリアリティです。単なる回想が後の世代にどれだけ訴えかけるのか、一考の余地もあるかと思いました。当時はお辛かったでしょうし、その意味では少々厳しいことを申し上げますが、一例をあげますと、「アララギ」の渡辺直己や「多磨」の宮柊二、また私の大師匠「新短歌」の宮崎信義のように、当時の恐怖、実景や感慨をもう少し具体的に詠んでいただきたかったというのが実感であります。

また県南の方でしょうか、「蕪島」の歌がかなり多かったのですが、みなさん同じような歌ばかりで、独自性を見いだし難いものが多かったのは残念でした。

 それでは推薦五首を番号順にご紹介いたします。まず一首目、七番の歌。

島めぐるふたつのくにの艦のごともつれ合ひつつ蝶飛びゆけり

 つがいの蝶があたかもダンスを踊るように飛び交う比較的ありがちな光景を歌にしたものですが、ここに尖閣諸島をめぐる日中両国のさや当てを斡旋した感覚が秀逸です。この歌が詠まれた時、作者の目の前では春たけなわの穏やかな一日だったわけですが、遠い国境の海では依然領有権や資源をめぐる争いが続いています。7月1日集団的自衛権行使容認の閣議決定が出されましたが、そういったきな臭い情勢をうまく歌に乗せたと思います。

 続いて二首目は七十四番、

私のなかにも異界こっそりとランゲルハンス島に手をやる

 ランゲルハンス島を詠んだ歌は他にも73番、112番と三首ありました。数日前、荻原裕幸さんがこの語についてツイッターで言及されていましたのでご紹介します。

「入沢康夫『ランゲルハンス氏の島』(一九六二年)に尽きるのではないかと思う。この語から引き出される文芸的イメージは大方そこに収まっている気がする。村上春樹『ランゲルハンス島の午後』(一九八六年)も二番煎じに見えた。俳句で頻出するとは迂闊にも知らなかった。」

もちろん、荻原さんの呟きをもってこの歌の評に代えるつもりはありません。今回取り上げた方が少なかったというだけで、短詩形では意外に多い題材だという私自身の気付きです。 

作者はもしかすると糖尿病でも患ってらっしゃるのでしょうか。くれぐれもお大事になさってください。ご自分の内臓を「異界」と詠んだセンスを評価いたしました。

 三首目は七十八番、

戦死せし弟の骨を探すごと父はルーペに南の島見つむ

 結句は九音とリズム的にはやや難がありましょうか。「みんなみみつむ」でも良かったかもしれません。しかし戦争詠ではこの歌が一番優れていたように思います。私の亡くなった父は北支戦線に従軍しましたが、戦友の遺骨回収が戦後七十年を経ていまだに進まないことに深い悲しみを抱いておりました。われわれの世代ではリゾートという印象でしかない南の島も、そこで戦死された方が多数いたこと、そこに我々はもっと思いを致すべきだと思いました。

 四首目は百十番、

頭なで島田結ふには打って付け祖母の声する髪梳くたびに

 頂いた詠草集には「打って付け」のところで小さいつになっていますが、これは誤植なのかそれともご本人の誤記かは確認できませんでした。旧仮名ですから大きいつですよね。しかし、これはあえて不問にしました。作者が幼いころの思い出でしょうか。祖母のお人柄が伝わり、温かさを感じました。

 最後の五首目は百四四番、

「黄金で心を汚さなゐで」と肝にしむ島唄うたひつ耐へきし過去・いま

 沖縄を詠んだ方も多かったですが、この歌で大切なことは盛り込まれた主題です。拝金主義でモラルハザード極まれりと言う我が国、しかもオスプレイや辺野古への基地移設問題に揺れる沖縄の現状を見るにつけ、決してくじけないウチナンチュの生きざまに襟を正されるというのでしょうか、そういった意味で島の人に寄り添ったいい歌だと思いました。

以下佳作は番号のみのご紹介になりますことをご容赦ください。

1214152530434659728389116125128130140146154155159です。(繰り返します)

 それでは私の選評を終わります。ありがとうございました。

一日の勤めを終えてぼんやりとライブハウスの片隅にいる
メールなど読まずに来たが傍らのフライヤーには君の名前が
メンソールくゆらしているカウンター人の煙は嫌いなくせに
もみ消した煙草は苦い演奏者を入れ替えているライブハウスに
そういえばあの日も雨の夜だった 気付いた君は視線をそらす
わけもなく長引いているチューニング僕らもこんな恋をしていた
君の弾くピアノは聴かぬふりをしたグラスの氷が溶けていたから
クエン酸ソーダを頼む どことなく疲れているね君のピアノも
終演のライブハウスの灰皿に燃えていたのはあの日の君だ
メールにはさよならの文字あの夜の二人のステージ写真を添えて