音楽の根源。 | Endo Nozomi オフィシャルブログ

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今、こんな本を読んでます音譜

Johann Sebastian Bach
Die Interpretation der Sonaten und Partiten fur Violine solo und der Suiten fur Violoncello solo

(バッハの無伴奏バイオリンソナタとパルティータ および 無伴奏チェロ組曲の解釈と演奏法)

リヒャルト エフラティさんという方が著作、
チェロの三木先生が訳。

ドイツ語勉強中の私は、「そっか!ソナテンとかスイテンとか、複数形だぁ!」なんてことにも改めて気付かされ、それとともに自分のダメっぷりも再確認(笑)


そんなことはさておき、これ、面白いねアップ

詳しく書かれてるけど、賛否両論ありそうにひひ

まだ始めの方だけど、こんな文があります。

36ページ、装飾音。

クープランは1722年次のように述べている:「私は極めて念入りに自分の曲の中に適切な装飾音符を書き入れたが、その私の指示にしたがおうともせずにそれらの曲を人々が演奏するのを聴いて私は本当に驚いた。この点に注意を払わないのは許されることではない。なぜなら、装飾の選択は個人の好みの問題ではないからである」



面白くないはてなマークドキドキ

しかしながら、クープランはともかく、バッハのチェロ無伴奏組曲などはバッハの直筆譜が残ってない上に、現代の人が使うモダンボーで弾くことを想定されてないし、
譜面通り弾くのではなく、当時の弾き方や解釈の暗黙の了解と流行りがあったらしいから、
今となっては、外国語に疎い私たちはこうして訳してくれた本を見ながら解読するわけですよ、バッハやクープランの意図をキラキラ


私の師匠にも言われたことを、私も生徒に伝授してますが、
楽譜に書いてあることを無視っていいわけない。
でも何も読み取ろうとせず、馬鹿正直に楽譜を左から右に弾くことは、
作曲家の意図を無視、ひいては冒とくしてることになるのかしらね(⌒-⌒; )


私たち演奏家は、作曲家あっての存在。


だけど、作曲家の手を離れてしまった作品は、どんな姿形になってしまうか、、、


でも人はなぜか、物事の根源を知ろうとしたがる。

音楽の根源。
人間の根源。
生命の根源。
地球の根源。
宇宙の根源。


クープラン、心配しなくても、君の作品は君が思ってるより愛されてるさラブラブ








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