介護問題と人格 | 音叉とエニアグラムで周波数をあげるセラピー。本来のワタシへ。ヒーリングサロン Pulse(パルス)

音叉とエニアグラムで周波数をあげるセラピー。本来のワタシへ。ヒーリングサロン Pulse(パルス)

エニアグラムで理解、頭に心が追い付かないときは身体にアクセス。音叉とアロマを使うハンドヒーリングで優しく、かつパワフルに体と気持ちを立て直していきます。ココロとカラダの調律師 まやこ(かまちょの部屋)

おかげさまで、ありがとうございます。

台風がすぎ河川敷のいたるところで、補修工事がすすめられています。


先日の首里城の火災は、ノートルダム大聖堂のときのような大きな衝撃でしたね。

新たな再生に向かうための代償なんでしょうか。

今年は鳳凰がテーマな気がしていて

破壊をともなう再生の場面を見せられることがなんと多い事か。

前向きに捉えることは可能だけれど

失うということは、とても大きなことで

悲しみや喪失感を併せ持つ。

それをしっかり踏まえて祈りたいと思っています。




さて昨日は、氣づきのエニアグラム川崎大師 カフェフランさんのクラスで授業してきました。

このクラスは長いものの、ごりごり先に進むクラスではなく

知識も織り交ぜつつ、日常の問題をエニアグラム的に話し合うシェアクラスで

ほかのクラスとはちょっと毛色がちがいます。

昨日は介護問題についての話題となりました。

親の介護の世代となったことを痛感しますねー。

タイプによっても症状の出方はちがうので

意識が働かなくなった時にいい年寄りになりたいと心底思い

身体作りを頑張ろうと改めて思うのです。

やはり多くの方が

動けなくなったことをキッカケにあらゆる機能が低下していく流れのようです。

いかに末端の刺激を続けるか (脳に信号を送り続けるか)がポイントで

足の筋力も非常に大事なんだと感じます。

かつ身体のゆがみと性格は連動しているので

どうやってその癖や傾向にのらないか、を考えると

身体を健やかに保つ以外の方法が思いつきません。

しいて付け加えるならば、家が散らかっていないことも大切ですが。

周りを巻き込むのは

圧倒的に「ケア」を他者に求めるタイプのみなさんですが

お金にも同時に執着するので

早い段階で第三者に委ねることも大切です。

介護認定取るのも、みんなスムーズなわけではありません。

役所やお医者さんの前でだけ、しゃんとする方も多いのです。

なので介護問題は、一緒に暮らさないとその大変さを理解することは難しいところもありますよね。

ワタシも祖父のプライドがあまりにもすごくて

役所の方に演技をお願いしたことがあります(笑)

お金を手放さない、しかも閉まったところを忘れるというタイプは

ご飯やおやつの執着も併せ持ちます。

使用不可の通帳を持たせておくとか

中身を移しておくなどの対応策もよいかと思います。

介護を請け負う側も

頼まれてないけど、義務感に駆られて

手を出しすぎ、結果自分が不満爆発だったり

ぜんぶお金で解決しようとする人だったり

家族が看るのが当たり前と思って自分が手を貸していないことに気づいてないとか

言われたことしかできない、やらないなど

タイプにより様々。

百者いれば百様のパターンがありますので

もちろん一概には言えませんが

自分は親だから、こどもだからという背負い込みの義務から

1歩ひくことも自分の人生においては大切だと思っています。

人によっては

「なんて親なの?!」
「なんて子なの?!」

という問題に直面するかもしれません

100%それを賄うことはできんのです。

任せすぎも任せなすぎもアンバランス。

できることより、ちょっとだけ無理する

頑張れることってこういうことではないのかなぁ。

高齢化社会

もう少し国にも頑張ってもらって

犠牲を感じる人が減る社会になるとよいですね。