「普通はさぁ」を考える | 音叉とエニアグラムで周波数をあげるセラピー。本来のワタシへ。ヒーリングサロン Pulse(パルス)

音叉とエニアグラムで周波数をあげるセラピー。本来のワタシへ。ヒーリングサロン Pulse(パルス)

エニアグラムで理解、頭に心が追い付かないときは身体にアクセス。音叉とアロマを使うハンドヒーリングで優しく、かつパワフルに体と気持ちを立て直していきます。ココロとカラダの調律師 まやこ(かまちょの部屋)

おかげさまで、ありがとうございます。

模様替えの途中です。

新年なので気持ちも新たに。

未青さんの円満カレンダーも

新しい年に入りました。
イベントでもお求め頂けます。

旧暦明けましておめでとうございます。

さてさて

今年も張り切ってまいります。

なんかダラダラしちゃって

モノゴトの進行が思っているように進まないワタクシでございますよ。




さてさて

「約束」には色々種類がございまして

そこには人の「優先順位」の違いが作用するのでございますよ。

ちなみに例外はあれど

ワタクシは、何事においても「先約優先主義」でして

これだけ朝昼晩予定を入れていても

それが乱れることは、ほぼありません。

それは遊びであれ、仕事であれ、家庭であれ比重は同等です。

子どもがいないから出来ていることでもあります。

それはワタシが「社会性」を大切にしているせいで

万人に対して正しいわけではありません。

現在のワタシのように

周りにナチュラリストが増えてくると

「体感覚主義」なので

先方発信でありながら約束の時間に来ない人なんてザラに居ますし

「刺激主義」の方なんかは

自分のその瞬間のときめきを優先させがちなので

先約の優先順位があっという間に後回しにされます。

それもこれも「頭と心と身体の分離」がなせるわざで

「自分を大切にする」と思ってやっていることが

「他人の存在を軽視する」ことになっていることに

目が向かなかったりするものです。

しかしながら

その分離感がなくなっていくと

そこに摩擦や葛藤は生じなくなっていきます。

双方歩める道があるんだなぁと

不思議に思います。

「普通」は、多数決です。

所属するコミュニティーに帰属します。

そんな移ろい易いものに「中心」を渡さないことが大切なのですね。

ワタシもまだ練習の身ですが

その場に「絶対」を置かないことで

互いが相手を想いやれれば

自ずと「利他的」でいても「自分を大切にできる」し

それでいて「利己的」にはなりません。

相手に腹がたったときというのは

「義務」を軽視された腹立たしさなのか

「存在」を軽視された腹立たしさなのか

いずれかだと思うんですけど

「アナタの普通」と「相手の普通」が合わなかったときなのですよね。

それが自分の価値観でしかないのだと知ることもまた

自分の成長に繋がっていきます。

自分に集中するというのは

頭と心と身体がひとつの軸で結ばれた時なのだと

最近それが分かりかけてきました。

今日は舞レッスン。

ワタシは身体を使って

それを探しに行ってきます(^^♪