汚れを隠す事は、自分の醜さを隠す事? | かまだりょうへいの果てなき旅路

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$かまだりょうへいの果てなき旅路-芝生タイル

空虚な都会にオアシスを、草木を植えてみました……嘘です、100均で買った芝生っぽい敷物です


なぜこんなものをトイレに敷いたのかというと、白いタイルに黒い毛とかゴミとかが落ちると目立って汚く見えるからである

それと平たいタイルに水が落ちると、踏み入る度に足とか服とかが濡れてしまうからである

こうしておくと、多少汚れは目立たなくなるし、水は敷物の下にいくから足とか服も濡れにくい


とかたらたら言いつつも、結局は汚れるし濡れるのは変わらず、手っ取り早い応急措置なのである


よく色の黒いもの、濃いものは汚れが目立たないからいいと言われるが、結局のところ白い汚れが付いてしまうと意味がない

だからそういうことで色の濃いものを選ぶのは、自分は自分の物に対して手入れを怠る、ちょっと飛躍して言えば、愛着がないと思われても仕方がない

汚れ以上に汚れが、下手すると印象付けられてしまう


だからこそだろうか? 白い物、色の明るい物を常に白く明るく、つまり綺麗に着こなす、使いこなす人に憧れる

そんな自分になりたい……と思うのだが、芝生敷物を気に入っている内は、まだまだ遠い夢の話なのかもしれない