愚痴(僕の愚痴じゃないですよ(笑)) | 岐阜で働くサボリーマンのブログ

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岐阜県のメーカーで働くサボリーマンの戯言です

小泉首相の元で行われた郵政民営化。
これの影響が出てきましたねぇ。
集配業務の統合化。
地元の郵便局の前を通る度に、「ここは郵政民営化の影響をうけるんだろうなぁ」と思っていましたが、やっぱり。
今回の統合ですが、僕の住んでいる地域だけではなく、近隣地域の郵便局も全部対象です。
選挙前、小泉首相が「民営化によるサービスの低下はない」と言っていましたが、信じられることやら……
郵政民営化の影が見え初めてきました。

今回の統合はまだトンネルの入り口だと思います。
これから先、また何かありそうです。


やはり地方は切り捨てなんですかね。
もしも田舎の郵便局がこれから切り捨てられていったら……
僕らのような若者は車を運転し、インターネットも自在に操れるからまだいいでしょう。
お年よりは車が運転できない人もいますし、パソコンが使えない人が殆どで、情報リテラシーにおいては弱者なのです。
そういった中で頼りになるのは「田舎の郵便屋さん」なのですが……。
実際、地元の郵便局を見てると、地域に密着していて、頼られているんだなぁと思っていました。


でも、過疎化が激しい岐阜でも小泉チルドレンの佐藤ゆかり氏が当選。
どうもあの人、胡散臭い印象があるんだなぁ。野田聖子議員も何か黒い噂が立ってたけど。


そもそも、「民営化に反対するものは潰す」という冷徹で強引な総選挙。
これで決まったような改革の結果も冷徹なもんでしょう。







さて、長年ブログをやっていましたが、初めてリクエストというものを戴きました。
ありがとうございますm(_ _)m
今まで口外はしていませんでしたが、「○○について書いて欲しい」「△△についてどう思う?」「面白い話が聞きたい」等、リクエストは大歓迎です。

書くネタもできるし♪



では早速。

今日は「愚痴を言う人間の心理~なぜ愚痴を言うのか???~」というお題について。

僕は心理学の専門家じゃないので、よくわかりませんが、僕なりに分析してみたいと思います。

そもそも愚痴ってなんでしょうか。
辞典で調べてみると、


愚痴

①(仏)理非の区別がつかないおろかさ。「-邪見」

②言っても仕方のないことを言って嘆くこと。また、その言葉。「-をこぼす」「-を聞いてやる」


今回の話題に関連する項目は②ですね。

次に愚痴を言うシチュエーションを考えて見ましょう。


嫌いな上司、先生あるいは友人等について愚痴を言う「あいつむかつくなぁ」
仕事が忙しいことについて愚痴を言う「仕事が忙しくて休みがないよ」
言うことをちっとも聞かない子供について愚痴を言う「うちのバカ息子ときたら、勉強をちっともしないわ!!」
全然相手にしてくれない恋人について愚痴を言う「最近全然構ってくれない。少しくらい構ってくれたっていいでしょ!」
物事が上手くいかないときに愚痴を言う「勉強が難しくて全然わかんないよ!!」
特定の個人或いは不特定多数の人間あるいはモノについて愚痴を言う「最近の若いもんは……(僕からしてみれば「最近のおっさん、おばはんは……」ですが)」「あの店は(品物の値段が)高いわねぇ」
自己嫌悪に陥ったときに言う愚痴「俺ってなにをやってもダメなんだぁ」
自分のおかれている環境に愚痴を言う「うちの会社は給料が安いからイヤになるよ」

等等等、他にもたくさんあると思いますが。

上記の例を分析してみると
大まかに分けて愚痴を言う状況というのは、
①自分の行動ではどうしようもないとき
②自分の努力でどうにかなるが、その努力をしていない、もしくはできない


の2つがあると思います。


では、愚痴を言うときの心理というのはどういったものなのか。
まずは自分の行動ではどうしようもないとき、代償行為として愚痴を言うというのが考えられます。
例えば、周囲に嫌いな人が居た場合、たとえ嫌いであっても本人に面と向かって「お前のことが嫌いなんだよ」とは言えないものです。
そんなことをすれば、人間関係が崩壊してしまいます。
そこで、嫌いな人に対する嫌悪感による欲求不満を発散しようという心理から、嫌いな人の愚痴を他の人にぶつけることでストレスを解消しようとしているのではないでしょうか。
一種のマスターヴェーションのようなものだと思います。


次に、同情して欲しいと思い、愚痴を言うということが考えられます。
昔、「同情するなら金をくれ」なんて言葉が流行りましたね。
やっぱり人間、同情して欲しい、自分のことをわかって欲しいという深層心理があるのではないでしょうか。
アドヴァイスは求めていない、「大変だねぇ」とか「あなたの気持ちがわかるよ」とか「頑張ってね」とかいう言葉で心が落ち着くと思います。
そういった自分への理解を求めて愚痴を言うこともあるでしょう。



そしてコミュニケーションとしての愚痴。
居酒屋に行けばサラリーマンが「うちの課長は……」なんて愚痴、昼下がりの喫茶店に行けば主婦が「うちの旦那ったら……」なんて愚痴をこぼしている風景が見られるかもしれません。
置かれている立場が近い、若しくは同じ組織に属している人同士の談笑の中での愚痴。
こういった愚痴には、上記の「同情して欲しい愚痴」に加えて「コミュニケーションとしての愚痴」という要素があると思います。
聞いているも「そうそう!」なんて相槌をうって、ちょっぴり楽しそうだったり。
共通の話題として愚痴を言い、お互い共感することにより「苦労仲間」としてより親しくなる作用があるものです。



続いて婉曲的要求としての愚痴。
例えば母親が父親に「○○(子供の名前)は勉強せずに遊んでばっかりなのよ……」と愚痴をこぼしたり、サラリーマンが上司に「忙しくてあまり寝てないっすよ……」なんて愚痴をこぼしていた場合、なかなか要求を言えない状況で遠まわしに愚痴として表現することにより、自分の要求を察して「どうにかしてもらおう」という心理が働いているのかもしれません。
また、要求を言う切り口として愚痴を使用している場合もあると思います。
上記の例の前者の場合、この愚痴の後に続くのは「あなたからも叱ってよ」でしょうし、後者の場合は「残業は勘弁してください」
また、第3者に愚痴をこぼして、それが要求を言いたい人に伝わるのを期待し愚痴を言うというケースもあるでしょう。
「○○さんが△△って愚痴をこぼしてましたよ」と要求を言いたい相手に伝わってくれたら、その相手は「ああ、そうなんだ」と思い、要求が通ることもあり得る事です。


次にアドヴァイスを求める愚痴もあると思います。
相談しているつもりがいつの間にか愚痴になってしまったことはよくあること。
また、何かいいアドヴァイスがもられるかなぁと期待する心理が働いてちょっと愚痴を言ってみるというケースもあると思います。
代償行為として愚痴を言っている場合、ひょっとしたらアドヴァイスがうるさいなぁと思うこともあるでしょう。
でも、あとで冷静に考えてみると、「ああ、あの人のアドヴァイスは尤もだなぁ」と思うこともあると思います。
愚痴ってみて何かアドヴァイスしてもらおうという心理もあるかもしれません。



ざっと愚痴を言う人の心理について挙げて見ました。
なんとなくわかる気がしませんか?


愚痴……漢字で書くと「愚」と「痴」。
どちらも「おろかなこと」とか「バカなこと」という意味合いの字です。
でも、愚痴は時にはガス抜きになったり、コミュニケーションの潤滑油になったり、自分の要求を通すための手段となったりするわけで、一概にいけないことだと断定すべきではないと思います。
愚痴を聞かされる側にとっては「鬱陶しいなぁ」と思うときもあるでしょう。
でも、たまには大いに愚痴らせてあげるのも優しさなのだと思います。
特に恋人とか親友の愚痴はできる限り聞いてあげたほうがいいですね。
「うんうん」と黙って聞いているだけでも、相手はスッキリすると思いますし、それが「聞き上手」だと思います。精神的に参っている人はそれだけでも大分救われると思います。


とあるホームページに悩んでいる人を励ます方法として、話をゆっくり聞いてあげる。
アドヴァイスは余計その人を追い詰めてしまうし、その人はアドヴァイスを求めているわけではいないので、何も言わずただ聞いてあげ、そして抱きしめてあげるのがいいと書いてありました、
男を抱きしめるのはイヤだし、女に抱きしめるのはセクハラになってしまうので、抱きつくことはようせんのですが、話を聞いてあげるのは大切だなと思いました。


愚痴ることは精神衛生を保つためには有効な手段ではないでしょうか。
ただし、あまり愚痴ばかり言って、相手をウンザリさせることは控えた方がいいと思いますが……。
こうしてみると、「愚痴」にもマナーとルールがあるみたいですね(笑)





今日のまとめ

愚痴を上手く使おう。