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北関東の釜屋の起源


  江戸時代に北関東や利根川周辺の河岸で大活躍して飛躍的に商売を広げた釜屋商人たちはみな近江に起源を持っている。特に有名なのは渡良瀬川支流の栃木町の釜屋兄弟や江戸川の西宝珠花河岸の釜屋市兵衛や源兵衛である。高崎の釜九の祖先は河岸問屋で豪商として知られた市兵衛になる。彼らは、江戸時代の経済、物流の大きな部分を担った。



  近江の彼らの出身地、野洲川周辺の守本や山村は、辻鋳物師や近江日野商人の主流からは少し外れた郊外の地になる。だから朝廷に与治郎の釜が献上されたり、江戸期には幕府の御用鋳物師になる井口天神を中心に金屋を持った権威ある辻鋳物師の本流ではない。また戦国大名たちに育てられ保護を受け、遠隔地交易で広く活躍した近江八幡、五箇荘、日野などの近江商人の主流でもない。戦国大名蒲生氏の城を中心に栄えた日野の街からは少し離れた郊外になる。



  だから北関東で活躍して莫大な財を蓄えた釜屋たちは歴史的にも、鋳物師、近江商人のどちらにも位置付けられていない。彼らは野洲川や琵琶湖の舟運や野洲川が一大産地であった川砂鉄の採取や鋳物材料や製品の輸送で鋳物師、近江商人の両方と関係を持っていたと考えられている。



  彼らの出身地は古代から帰化人たちが定着した地で、多くの銅鐸や韓国式土器が出土しており、朝鮮半島由来の石塔や帰化人を祭った神社が残っている。地元で神山として崇敬される琵琶湖富士三上山の中腹には、関東の釜屋商人が奉納した玉垣が多く残る、朝鮮半島由来の北斗星信仰妙見宮の遺跡がある。白州正子が描く近江金勝寺を中心に石造文化を作った東大寺大仏建造や紫香楽宮建設で活躍した帰化人僧良弁がおり、周辺には鬼室神社を始め帰化人を祭った寺社が多くある。菅原道真を継いで大学者になる五男が難を逃れて信仰した山村神社は帰化人であった道真と関係が深く、釜屋の祖先のひとつはそこの神社を衛る信徒の村の出身だ。



  北関東で大活躍して急速に拡大した釜屋商人たちは近江商人としても辻鋳物師系の商人としても傍流であったが、それは帰化人出自こそが彼らのアイデンティティーだったからではないだろうか。だからこそ彼らは河岸場といった言わば誰の領地でもなかった公界(くがい)に定着できたし、様々な定住的農業民ではない非定住の雑多で多用な人々と暮らし、生き生きとたくましかったのだろう。そんな河岸を通りすぎる遊行の宗教者、移動交易する商人、職人、浪人や無宿人等様々な社会の外側で生きる人々の中での営みが、新しい流通する経済の形成に繋がっていくのだろう。釜屋商人が多く集住した西宝珠花河岸は、江戸川を人の手で開削して作られた河岸場で、指揮を取った代官小島正右衛門の墓は釜屋商人たちと同じ寺にある。そこでは武州周辺に隠れ住んでいた隠れきりしたんたちの労働力も欠かせなかったと言う。そうした際にも釜屋商人たちの帰化人由来の柔軟な異邦人性が効をそうしたに違いないと言ったらそれはもう夢想に近いだろうか。