目の前にある出来事が実は錯覚かもしれない。
今回はそんな事を学んでみましょう。
【前置きの設定情報】
とある外国の農村のお話。
貧しそうな村の雰囲気ですが
この村の人は、みんな田畑を持っており
基本的に自給自足しています。
余った作物は街で売って生計の足しにします。
画像には写っていませんが池から100mくらい
歩いたところに田畑はあります。
下の画像は、ある女性と子どもたちが
田畑の作物にやる水を池から汲んでいます。
画像から分かる通り、水に恵まれてはいない乾燥地帯。
この池は地下水が湧き出ており枯れた事はありません。
この池の水は、この村の人たちが所有する田畑に
水をやったり飲料にも利用する貴重な水源です。
上の田畑の作物にやる水を汲んでいる画像を
しばらく見て何を思いますか?
●貧しそうな生活?
●大変そう?
●どこまでも広大な場所?
●子どもたちも手伝いしてる?
●水が貴重だろうな?
●寄付したい?
●貧瘠な土地で作物が育たなそうorすぐに枯れそう?
●文明が遅れている?
●電気がない?
などなど人によって思った事は違うと思います。
これは映像や情報の受け取り方が人それぞれ違うからです。
パッと見てストレートに視覚情報が入る人や少し違う視点や
角度で見る人、それぞれいるはずです。
しかし、今回のブログの出だしで書いたように
画像で見えているものから、あなたが思った事は
実は「錯覚」かもしれません。
その証拠として前置きの設定情報と
画像からある違和感に気づく必要があります。
その違和感に気づきましたか??
それでは、下の画像に変えてみます。
よく見ると水を汲んでる人たちの持ち物が変わりました。
これで何か違和感気づきますか?
やっぱり
●貧しそうな生活?
●大変そう?
●どこまでも広大な場所?
●子どもたちも手伝いしてる?
●水が貴重だろうな?
●寄付したい?
●貧瘠な土地で作物が育たなそうorすぐに枯れそう?
●文明が遅れている?
●電気がない?
違和感として気づくべき答えは
非効率な水汲みをやってるところです。
気づきましたか?
田畑がいくら近くにあるとはいえ、小さいコップやタライで
水を汲んで運んでを繰り返していたら重労働です。
たった100mしか離れてない田畑までちょっとした
側溝を掘って水を誘導すれば
このように水を汲んで運ぶ必要が無い訳です。
その分の時間を他に割けます。
しかし、それをしていないと言う事は、ここの
村民に、その閃きや掘削技術がないだけかもしれません。
ポンプを使えばいいと言う発想も
あるかもしれません。
でも、これでは常にポンプの動力にコストが
かかってしまいますね。
このように写真や画像からの視覚的情報だけを
鵜呑みにしてしまうのは、人間の能力である
「物事について考える」のを
止めている状態かもしれません。
実は、この画像はAI生成なので実在しませんが
こういう画像作って寄付を募る手口が出そうだなーと
思う今日このごろ。
一時期、アフリカは貧しいから何か
役に立てる事はないかと衣類を送る活動がありました。
それは貧しいから=いらなくなった古着で支援になる!と
勝手に考えた人がいるからです。
しかし、アフリカに着くと僅かには難民キャンプへ
届きますが大半は店頭に並んでしまいます。
また古着なので長く着られる訳ではありません。
着古した服や売れない服は行き場を失い
ゴミとなります。大量にやってきて大量にゴミになっている
古着をアフリカのようなインフラ未発達の場所では
適切に処分できません。
またタダ同然で古着が送られてくるので
アフリカで衣料産業が発達しません。
(実際の捨てられた古着)
それでも今でも古着を送る活動は行われています。
イメージや思いと実際はこのようにも乖離が生まれる事は
よくあります。
前半で書いたように、どうしても人によって
情報の受け取り方は違う事も理由です。
しかし、あなたが思った事は単なる錯覚かもしれないと
立ち止まってよくよく考えてみる事も大切だというお話でした。





























