沼田市歴史資料館で
私が注目したのがこの 城鐘 でした
(写真は 図録 より)
"この鐘の歴史について"
①沼田藩二代藩主 真田信吉が
寛永11年(1634年)に
地元で鋳造させたものです
(前の大河ドラマ 真田丸 で言うと
大泉洋さんと吉田羊(小松姫)の長男
領内安全、家臣領民の清い心、
領主の権威長久を祈願したもの
沼田城の三の丸に掛けられ
昼夜の毎時、1日に12回鳴らし
時を告げた。。
その後 あちこち移動して
今はここに在ります
(鐘に刻まれた文字についての資料)
たくさんの文字が 追加で彫られ
この鐘にまつわる歴史がわかります
②沼田藩5代目の時、天和元年(1681年)
改易、配流され 城が壊されて、、
(五代目の悪政は有名)
⇨ 平等寺が譲り受け 寺の梵鐘 となる
③『幕府はこの鐘を
地中に埋めてしまおうとしたが
殿様(真田河内守、二代目のこと)の
名前が記された鐘が
地中に埋められてしまうのを
私は聞くに忍びず
乞い譲り受けたい
真田の天運が再び開けることを願う
平等寺 権律師 釈覚遵
と その翌年正月に 願文を彫り
お寺で使い始めたと思われます
後世の人に 由来がよくわかるように。
立派です
その後 時代を経て。。
⇩
④明治31年 沼田町の時鐘 となる
⑤昭和29年 群馬県の重要文化財 となる
⑥昭和39年 市庁舎建設のため
鐘はおろされて 保管される
⑦昭和58年 沼田城址に鐘楼が再建され
時鐘 として復活する
沼田市ホームページより
⑧平成18年より 複製をつくり
沼田城址の鐘楼には複製を掛けて
県の重要文化財であるので
城鐘は展示をして
末永く保存することとなった。。
というわけで
歴史資料館にあるのでした
平等寺の賢いお坊様が居なかったら
地中に埋められて
私達は見ることがなかったかもしれない
城鐘なのだな、と思いました
ありがとうございました