聖観音様の近くに

草が茂っていますが

僧侶の墓や 庚申塔が

乱雑な様子で在りました




享保九年七月吉日の庚申塔。松輪村。

1724年

両脚の脇に

願主名が 六名分彫られている。

第三の目がある六臂の合掌像。

右向きの邪鬼、三猿。


正徳四甲午天九月吉日 三猿の庚申供養塔。

1714年


三百年以上、

字がしっかり残っているのがすごい。


元文三年、邪鬼、三猿。 1738年

すらりと縦長、コンパクトなデザイン。


宝形破風付の笠や宝珠がある 庚申塔。


脚に迫力がなくアンバランスですね照れ

フットマッサージ風に見えて

背中に乗られ 気持ちよさそうな邪鬼。

三猿が大きい。

あまり近づけなかったのですが

ショケラも掴んでいるみたいです。



周辺の様子です。

なにげなく

三浦キャベツの小さな畑を撮影しました

小高いのが タッチャバ塚 と思います

(かつての 風葬、鳥葬の跡地)

写っていて よかったです。


石塔などがあるのは

福泉寺の境内地で 臨済宗のお寺。


第二次世界大戦中は このお寺は

第56震洋特別攻撃隊岩舘部隊

指揮官宿泊所として利用されていたそう。

(隊員達は民家に宿泊。)

坂を下っていくと

当時の洞窟が残っているそうなので

いつか見に行ってみたいと思います。


震洋とは!?
知らなかったので
参考記事をお借りしました



戦時中に 東京湾警護のために

若者達が 訓練をしたり

三浦の浜辺で待機していたのですね。。


私の息子達のような若者が

このような舟で 戦艦に体当たりして

お国を護ろうと自爆するのか、と

想像すると 涙が出そうになります


出撃は無かったのではと

思うのですが。。

お寺の方から詳しくお話を伺う機会が

あるといいなと思っています。


ありがとうございました⭐︎