三年ぶりに訪れた資料館でした


雛飾りや常設展を見て 帰ろうとすると。。


廊下に

"毒島(ぶすじま)城にあった

石臼を 外に展示してあります" という

案内を見たので

なんだろう?と思いました


資料もいただきました

こちらです⭐︎


まんまるで 可愛らしいものですが

おそろしい伝承が あるのでした。。



毒島(ぶすじま)城の 立地がわかる地図。

(伊勢崎市  ホームページより。)

古墳群のある丘に囲まれた沼地の

島に建てられた城であったそうです。


現在の様子⇩



鎌倉時代初期 ここで戦乱があったそうです

国境を争うのは

この地の領主 青木入道 軍 対

赤石郷・三浦賢庭公の三千の兵。


昭和四十九年 上毛新聞社刊

『上州の史話と伝説』より




この毒島城にまつわる合戦記です

文政時代の桐生良輔という学者によって

書きとめられた話だという。


戦乱の際、三浦勢をくいとめるために

ブスという植物(トリカブト?)を 

石臼でつかせ

毒物を作らせて 湖水に流し込んだ


すると 3メートルの大蛇があらわれて

火炎を吐き、三浦の三千の兵は全滅した。


とあります。

まるで ゴジラみたいな話です。


『毒島城北方の吉沢峰に

合戦の時に 毒をついたという大石臼が

いまも残される』と資料にあるのが

こちらなのですね。。 合掌。



ニコ


歴史を知って 満足して 帰ろうとすると

さらに また

違う展示があることに 気がつきました


珍しい石材を使っている

石棺の一部の展示です。

緑泥片岩。青緑の美しい色。

中世板碑でも使われているものを見ます。

地域の首長墓だそうですから 

最上のものを創り出そうとしたのでしょうね。


丸塚山古墳は 帆立貝式だという。↑


綺麗に溝を彫ってあります

五世紀後半でこんな技術があったとは。

とても大きい。


他の2点は ぼろぼろなので

大きなものだけが 奇跡的に

綺麗に現存していることが分かります。


いろんな石棺を見てきましたが

この岩を削ったものは 初めて見ました

この周辺には無いと思うので

遠方の産地から運んだものと思います


ありがとうございました⭐︎