ここは うしろひきままち と言います


↓妙見寺でみつけたこの宝塔の一部。

大変気になりました

だいぶ壊れてしまっていますが

元は美しいものだったに違いありません


種字が蓮台に載っているものが

数カ所彫られています



妙見寺から 北西の 近い所にも

宝塔があることを知って訪ねました


両端にあるので、

なるほど元の形がわかってきました。

基礎、笠、相輪部もあったはずです。


(ただし ↓こちらの相輪部は後補のもの。

看板に 欠いていると記載あり。)



↑ほかに 大壱寺にもあると知って

あとで訪ねました

(そこには完成形かなと思うものが。。

おたのしみに。)


種字 ア(諸尊通種字、胎蔵界大日如来など)

ほかの種字をみると 宝幢如来か。


宝塔ふたつとも

彫られた種字を解読すると 全体として

胎蔵界五仏(五智如来、中央大日如来)

を表しているようです。↓


石仏探訪必携ハンドブックより。


現在 正面となっている(南面)ア 宝幢如来


基礎の文字がまだ読めます。

梵字で経文を刻んであります


光明真言逆修石 と中央にある。

文安三年二月廾日 1446年


時計回りに撮影しました 西面

アー 開敷華王如来


↑本来はこの面を南側に向けて

設置されていたものと思う。力強い。

整備するときにわからなかったのだと思う。


北面

アンか? 無量寿如来


東面

アク 天鼓雷音如来


ニコ


次に 左端にある宝塔です

こちらは正しく置かれています



↓種字を拡大

アー 開敷華王如来

この塔は 

種字の周りを円形に彫ってあります


基礎


奉造立 逆修石塔※

妙秀禅施善所

寳徳元年閏十月三日 敬白 1449年

室町時代前期のなかばごろ。


※逆修とは→生前に建てる ということ。


不明ですが アン 無量寿院如来か

風化がはげしい。


北側 アク と思います 天鼓雷音如来


東側 ア 宝幢如来


三年の違いで

ふたつの この大きな宝塔が建てられています


この地の僧侶と尼様が

生きた証として

五智如来への信仰心を表し

仏教の興盛や 人々の安寧を願い

生前に建てた供養塔と推測しました


月曜は 箕郷町でも

やはり尼僧の供養塔を見ることが出来ました

江戸初期の立派なものです。

いろいろな宝塔を見てまわっています。


裏側に ほかにもいろいろなものが

祀られています


宝篋印塔


蓮弁が彫ってあります↑


最後に 

中央の石殿です

洒落たデザインです


明暦二年五月廾日? 1656年江戸前期

冷水村 佐倉〇〇さん?

(筆跡が異なります。

サインみたいに本人が彫ったのか。)

仏様が鎮座しています


螺髪、禅定印


表情が良いですね

素敵な仏様です

お釈迦様でしょうか。



ニコ


今年もあと ひとつきになりますね。。

あちこちへ お歳暮の手配をして。。


郵便局のお歳暮カタログから 自宅用 

という商品を 取り寄せてみました。


山形県産 ラ・フランス。


新鮮で固いので

何日かおいて 追熟して

指で押してみて柔らかくなってから。。

とのこと

たのしみはまだ先です。。ニコクローバー


ありがとうございました⭐︎


ニコ


○追記です


今朝投稿した

ぎゃくしゅう の漢字が誤っていました恐竜くん

変換違いに気が付かず 申し訳ございません

正しくは 逆修 です。

大事なキーワードでした。。えーん

3カ所も間違っていました


記事は 訂正済みです。

アメアリさん、

ご指摘ありがとうございました。