フラダンサーへ:HulaとMeleによって歴史は蘇る | HulaとHawaiiの日記

HulaとHawaiiの日記

1995年にハワイへ移住。フラを中心としたハワイでの生活日記です。

先日、イギリス国王のチャールズ3世の

戴冠式がロンドンで行われました。

新たな君主の戴冠式は、70年振り。

伝統的な儀式と歴史的瞬間。

とても感動しました。

 

そして、頭にはハワイ王国の歴史。

ハワイの州の旗にもユニオンジャックがあるように

古くから英国王室との深い結びつきのあったハワイ。

 

今日は、少し遡ってみましょう。

 

1778年クック船長が初めてハワイへ。

その後多くの西洋人がハワイへと来航する事により

ハワイには大きな変化が起こります。

ハワイ全島を制覇したカメハメハ大王は、

1810年 初代国王となります。

1823年11月には、カメハメハ2世と妻のカママル妃が初めて

イギリスのジョージ国王に会う為に捕鯨船に乗り、英国へ渡ります。しかし、1824年7月にはカママル妃が、続いてカメハメハ2世がはしかにかかり命を落とします。

1840年には、イギリスの憲法を模範とし、ハワイ王国の憲法が制定されます。

 

そして、今回の戴冠式を見て真っ先に頭に浮かんだが、

1887年にロンドンで行われたビクトリア女王 即位50年を記念するジュビリー。カラーカウア王の妻、カピオラに王妃とリリウオカラ二妃が出席しています。

そして、その時の様子をMeleに残したのが、リリウオカラ二妃が書いたQueen's Jubilee 

 

確かビショップミュージアムだったか?

イオラニ宮殿だったかに、その様子が描かれた絵画が

ありましたね。

その様子が、今回のチャールズ国王の戴冠式と重なります。

そして、このMeleから当時の様子が

想像できるのです。

まるで蘇るかのように・・・・

 

弟のレレイオホク王子、妹のリケリケ王女が病気で亡くなり、

兄のカラーカウア王も病に倒れ、ハワイ王国の最後の君主となったリリウオカラ二女王。

 

Haku meleして音楽を愛し、150曲以上もMeleを残した

リリウオカラ二女王。

そのMeleがあるからこそ、現代の私達が知る事が出来る

ハワイの歴史、文化、そして伝統。

 

フラの大切さと、伝統という重さも感じます。

 

私の大好きなアンティーがいつも語ってくれる言葉。

HulaとMeleがその当時のハワイを

蘇らせる・・・

 

だから、私達は学び続ける。。。

 

まだまだ書きたいことは沢山ありますが、

今回はこの辺で。

 

良い週末をお過ごしくださいねラブラブ

 

 

 

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