マル・ウル | ハワイアン・メレの世界

ハワイアン・メレの世界

「メレ」とはハワイ語で歌、もしくは詩という意味。
フラを始めて、曲の内容をより知りたいと思い、書いています。

 レレの静けさの中の私の愛する人

 私の家族の住む家

 そこに私は暮らしていた

 レレの森のウルの静けさについて十分にしることができた

 それはまるで私に語りかけるように

 ”友よ、さあ行こう”

 静けさの中、崖は影ってくる

 鳥たちはさえずっている

 

 コーラス

 私は美しさを見る

 ウルの日陰の静けさを

 目の前にひろがる

 まるで私の目の前に

 

 私の畏敬の念はやむことが無い

 ピイラニの湾を

 私のまえに堂々と立つ

 ウオの美しさよ

 瞬く合間に

 確かに美しい

 まるで私に語りかけるように

 ”共に祝いそして生き生きとしていこう”

 

 高い山の上の私の愛する人

 山の名はマウナホオマハ

 私はそこで休む

 歯をぬくような痛みを伴う水を飲む

 私は愛する人と

 香りよい息の人々よ

 私たちの方へ漂ってくる

 それは薔薇の香り

 

8月にマウイ島を襲った火事では、ラハイナの街がほとんど全滅した。

たくさんの人々が家や仕事場を失ったとともに、歴史的に有名な建物などが火事に襲われ、なくなってしまった。

大きく枝や根をはったバニヤンの木もそのひとつだ。

この木も深刻な被害を受けた。

しかし、最近のニュースによると、樹木医が焼けた樹皮の下の組織が生きているのを見つけた。

8月中旬時点で報じられている情報によると、給水車によって毎日散水が行われるとともに、約5cm(2インチ)の堆肥層を施し、土壌のエアレーション(通気性改善作業)を行っているとのことだ。

 

ラハイナといえば、バニヤンの木のほかにも、ウルの木(パンノキ)についても語らなければならない。

この街の古いハワイ名に、Malu 'ulu 'o Lele「レレの木陰のパンノキ林」というものがある。

これはこの街の歴史的なハワイ名のひとつである。

 

9月11日のKITVの「アイランド・ニュース」で、このような記事を見つけた。

「ラハイナの歴史的な「ウルの木」に何が起こったのか?」

カロイモ農家のホクアオ・ペレグリーノはこう語っている。

「ラハイナの気候はまったく違っていました。

かつてのラハイナは、ウルやココナッツ、カロなど、先祖たちがカヌーで持ち込んだ作物でいっぱいの農林地帯だった。

ラハイナはもっと涼しかった。

食の森だった。

だからこの名前ながついたのでしょう?」

「1887年の記事によると、パイオニア・シュガー・カンパニーが刈り取ったサトウキビを木に押しつけ、木を燃やしたことが具体的に書かれています。

ハワイアンの家族やコミュニティは、木はラハイナのシンボルであるだけでなく、人口を維持するのに役立っているのだから、木を切ったり燃やしたりするのをやめてほしいと懇願したのです」とペレグリーノは説明する。

 

今回のマウイの災害は乾燥した土地にあっという間に広がった火事のために起こった。

人々が勝手に始めた開発のために、気候が変わり、土地が乾燥してしまい、悲劇を大きくしてしまった。

 

「アイランド・ニュース」は続く。

ワイカプに住む、ペレグリーノは、クイア農業教育プログラム、ナ・アイカネ・オ・マウイ、ラハイナ・レストレーションと協力して、樹齢200年以上と思われる数本の原生林の保護に取り組んでいる。

「歴史的な7本のうちの少なくとも1本が、次の世代につながっていくことを期待しています」とペレグリーノは言った。

数日前、ペレグリーノは日本からの大学生とともにワイルクのイムア・ディスカバリーセンターにいた。

「ハワイの "ウル "には種子がなく、新芽を伸ばすにはヘフかカ、つまり側根系から伸びる吸枝しかありません」とペレグリーノは説明する。

彼らは最終的にラハイナに移植するつもりで、"ママ "ウルから10本の根の吸枝を用意することができたそうだ。

 

♬ Malu 'Ulu by Keali'i Reichelle

 
参考資料
KITV 「アイランド・ニュース」9月11日付