ムーキキー・ワイ | ハワイアン・メレの世界

ハワイアン・メレの世界

「メレ」とはハワイ語で歌、もしくは詩という意味。
フラを始めて、曲の内容をより知りたいと思い、書いています。

2021年1月23日、アンティ・パットが100歳の天寿をまっとうした。

アンティ・パット、つまり、ペイシャンス・エルメイ・ナマカ・ウィギン・ベーコンは1920年2月10日、カウアイのワイメアで日系のプランテーション労働者の家に生まれた。

しかし、母親は8週間後、出産の合併症で亡くなった。

既に4人の子供たちを育てていた父親は赤子を育てることができなかった。 

そのため、ハワイアン・ヒューマン・ソサエティの手配によって、マリー・カヴェナ・プクイと彼女の両親、ヘンリーとパアハナ・ウィギンの養女となったのだ。

 

マリー・カヴェナ・プクイについてはこちら。

 

マリーが直接、養女と出来なかったのは、ハワイ人の夫であるプクイ氏が、当初、日本人の子供を引き取ることに反対をしていたためだ。

当時のことを本人は、こう言っている。「このソサエティは子供や野生の動物の面倒を見ていたの。そういうわけで、私は馬や牛や犬や猫と一緒に分類されていたのよ」。

こうやって、ホノルルのプクイ・ウィギン家へ迎えられた赤子は、愛情いっぱいに育てられた。

マリー・カヴェナ・プクイはハワイアン文化において欠くことのできない学者であり、教育者である。

アンティ・パットは、この家にやってくることによって、ハワイ文化を尊重する家族の中で、ここの女性たちの話す、学校で学ぶことのできない、古いハワイ語にどっぷりと浸かることになった。

この時から、ふたりは一生を通じての、文化の継承の道連れとなることが運命づけられたのだった。

 

マリーから初めてのフラ、「ムーキキー・ワイ」を教わったのは4歳の時だった。

ペレとヒイアカの伝説によるチャントをもとにして、メロディがつけられ、子供たちの曲として流行ったメレだ。

アワァもしくはカヴァとは古代ハワイアンが薬用に使った低木である。

根は眠気を伴う鎮静効果のある飲み物を作るのにつかわれる。カリウはハワイ島カラパナにある丘の名前だ。

 

鳥は花々の蜜をすう

カリウの丘に生える黄色の肌をしたカヴァの真ん中で

 

鳥は飛びまわりながら丘にカヴァを植えた

丘の上の森ではプナのカヴァが育つ

 

あなたの愛はまるで湧き出す泉のようだ

私を落ち着かせ眠りにいざなう

 

アンティ・パットは14歳になると、フラを習い始めた。

最初の先生はカカアコに住むケアヒ・ルアヒネだった。

アンティ・パットはフラの動きを学ぶこと、一緒に行ったマリーはチャンターの歌詞を記録することに集中した。

マリーはたくさんの伝統的な踊りが失われていくと感じ、それらを彼女なりのやり方で残して行こうと努力したのだ。

二人は一緒に、およそ2年間をケアヒと踊りのみでなく、ハーラウ・フラでの教え方に伴うプロトコール(礼儀作法)を含む文化背景を記録することについやした。

これは伝統的なフラの記録として、もっとも完全なものとして今日も残っている。

その後、パットはハワイ島の教師、ジョセフ・イララオレのところへマリーと赴き、古代チャントを記録することを始めた。

イララオレ氏との研究は1938年まで続いた。

 

1942年になると、ホノルル市のリクリエーション局の教師たちが、二人に古典フラの教えを請うてやったきた。

アンティ・パットはマリーと一緒に、興味を持った人にはだれにでも教えた。その教師たちの中にはジョージ・ホロカイがいた。

2000年前後、彼は当時の若いクムフラ、ケアリイ・レイシェル、サニー・チンなどを集めて、100年以上前のフラを教えるワークショップを開いていた。

二人の努力は次の世代にも、しっかりと継承されているのだ。

 

アンティ・パットはビショップ博物館での仕事を1939年に始めた。

しかし、ジョージ・ベーコンと知り合い、1945年9月23日に結婚することとなったため、一時的に仕事を離れることになった。

1952年8月23日には、マリー・エステル・カヴェナ・ベーコン(家族と友人にはドディとよばれた)が生まれている。


アンティ・パットは1959年博物館にもどり、マリーが率いる、たくさんの保護プロジェクトで働いた。

英語よりハワイ語で考えると言っていた彼女は、マリー・カヴェナ・プクイの録音コレクションの翻訳と書き起こしに大きな貢献をした。

ハワイ文化史家のネイサン・ナポカは最近のインタビューでこう答えている。

「アンティ・パット・ベーコン無しではカヴェナ・プクイはいなかっただろう。彼らは互いに重要で助け合っていた」。

 

一人娘のドディによると、「彼女が亡くなる前、新型コロナのパンデミックの終息した後、業績をたたえる会を開くべきかと聞いてみました。答えは『ナンセンス。私は死んでいるのだから、楽しめないじゃないの』」。

その時の、アンティのからかうような笑顔が見えるような気がする。

 

今年、ナー・ホク・ハノハノ・アワードで有名な、HARA(Hawai'ian Academy of Recording Arts)が、アンティ・パットに "Lifetime Achievement Honorees"を授与することに決まったそうです。
それを記念して。

♬ Mukiki Wai