1999年11月、『ホノルル・スター・ブルティン』の記者、バール・バーリンガムはこう書いている。
「ハワイアン文化は今世紀初め、西洋式の教育のために、大きく抑圧されていたが、1960年代になると持ち直し、現在では大きく花開いている。
この『ハワイアンハワイアン・ルネッサンス』は教育者としての マリー・カヴェナ・プクイの活躍がなかったら、とびたつことが出来なかったであろう」。
マリー・カヴェナ・プクイはハワイアン文化の継承において、欠くことのできない存在だ。
ハワイ語の学者、ダンサー、作曲家そして教育者である、彼女のフルネームはMary Abigail Kawenaʻulaokalaniahiʻiakaikapoliopelekawahineʻaihonuaināleilehuaapele Wiggin Pukui。
ハワイ語のミドルネームの訳は「この土地の主権を持つ、ペレに抱かれたヒイアカの作り出す空のバラ色の輝き」。
想像するになんと美しい光景だろう。
次回ハワイへと旅する機会には、海へと沈む太陽、そして、海の上にバラ色に広がる空(Ka-wena-‘ula)をぜひ見るようにお勧めする。
マリーは1895年4月20日、ハワイ島のカウ地方で生まれた。
母親の名前はマリー・パアハナ・カナカオレ。
父親はマサチューセッツ州からやってきた、ヘンリー・ナサニエル・ウィギン。
ハワイの伝統、ハナイ制度に従って、生まれた赤子は母親方の祖母、ナリイポアイモクに育てられた。
この女性はエマ王女の宮廷のダンサーであり、幼いマリーにチャントや伝説を語り聞かせた。
彼女はともに過ごす間、幼い子供のどんな質問にも辛抱強く、答えつづけ、たくさんのカプ(タブー)や文化についての知識を与えた。
後年、彼女は祖母と過ごしたこの数年間が人生の中で、最も重要なものであったと述べている。
そして、ハオレ(白人)の父親が数年間を祖母とともに過ごすことを認めて、許してくれたことを感謝すると言っている。
祖父のケリイカナカオレオハイリラニはヒーラー(治療師)であり、曾祖母はペレの流れをくむ、女性の祭司だった。
彼女のハワイ語の名前からもわかるが、マリーの先祖は、火の女神ペレと、そして、ペレの直接の子孫であると言われる、火の一族カナカオレ一族とつながっているということを示しているということだろう。
育ての祖母が亡くなると、マリーは実の親の元へ戻った。
ここで英語を学び、ハワイ語と同じように流暢に話すようになった。
しかし、この時代、ハワイ語を話すこと、フラを踊ることは禁止されていた。
マリーには強烈な記憶がある。
彼女のいた寄宿舎に英語をほとんど理解しない生徒がやってきた。
その娘を助けるようにと言われたマリーがハワイ語で話しかけているのを、教師が聞きつけた。
禁止されていたハワイ語を使った彼女は厳しく叱責された。
昼食にパンと水しか与えられず、その後一週間、生徒全員の前に一人で席につかされた。
自宅に帰り、家族に会うことも禁止された。
それを知った母、パアハナはマリーに二度と、学校に戻る必要は無いと言った。
このできごとを彼女は深い悲しみと共に、決して忘れることはなかった。
特に、少女が、自分の言葉を、ハワイアンという先祖から受け継いだ言葉を話すことで罰を受けたというつらさを。
少女が成長して、後に、10,000語以上の語彙を載せたハワイ語の辞書の共著者になったということは皮肉なことである。
マリーはハワイアン・ミッション・アカデミーで教育を受けた後、プナホウ・スクールでハワイ学を教える地位についた。
その後、1938–1961年の間、ビショップミュージアムで民俗学のアシスタントと通訳として働いた。
知識の豊富なマリーは多くの人類学者にハワイ語の文法について相談を受けたり、文化についての質問をされ、たくさんの情報を提供した。
祖母、ナリイポアイモクから学んだ知識が大いに役にたったのだ。
学術的論文も多数書いている彼女は、今日、世界中のハワイ語を学ぼうとしている人たちの助けとなっている辞書、『Hawaiian-English Dictionary (1957, revised 1986)』、のサミュエル・H・エルバートとの共著者として知られている。
そのほか、ハワイの地名の辞書、『Place Names of Hawaii (1974)』そして古いチャントや曲の翻訳の詰まった、『The Echo of Our Song (1974)』などの著書がある。
そして、ビショップミュージアムにはハワイに関する、1950、60年代の彼女のメモ、口述の歴史、数百に及ぶテープ録音が豊富に保存されている。
1995年にはハワイ音楽の殿堂入りをはたし、2017年には「ハワイ・マガジン」により、ハワイの歴史にもっとも影響を与えた女性として位置づけをされている。
彼女はチャンターであり、フラの達人であるのと共に、150にも及ぶハワイアン音楽を書いている。
その中の一つが、これからのハワイを背負う子供たちのために書かれた、美しいハワイの自然を歌った、かわいらしいメレ、『ケ・アオ・ナニ』だ。
一時は、西洋文化に押しつぶされそうになったハワイ文化、言語、フラが、今、マリー・カヴェナ・プクイなどの学者や、ミュージシャン、クムフラなどの努力によって花開いている。
ハワイ語を話す子供たちも増えているという。
高く、高く上を見上げると
空には鳥たちが羽ばたいている
下へ、下へと目を落とすと
大地には花々が咲いている
山の方、山の方を見ると
木々が青々と茂っている
海の中、海の中には
魚たちが広い海の中で泳ぐ
このお話で伝えたいのは
この美しい世界のこと
子供たちをたたえて
♬ Ke Ao Nani by Kaumakaiwa Kanaka'ole
マリー・カヴェナ・プクイ、サミュエル・エルバート共著のハワイ語の辞書
参考文献