「真景累ヶ淵」(その14) | カクザンのブログ(岡山市の親子将棋教室)

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子どもたち、保護者の方に、将棋の楽しさ・魅力をお伝えします。次回教室は高島教室が7/21(日)、津山おもちゃ図書館将棋教室が8/4(日)の予定です。また奉還町将棋イベントを7/20(土)の13時~18時30分まで開催予定です。

カクザン:新吉が再登場してきました。ずいぶん久しぶりですね。

テガタ:長い2つのストーリーがここで1本になったということじゃな。

カ:しかし、登場人物がどんどん死んでいきます。また、出てくる人物に悪人が多いですね。

テ:その悪人もどんどん死んでいく。

カ:悪女のお賤も顔にケガをしてしまいました。これも豊志賀の祟りなのでしょうね。

テ:しかし、もうそんなことはどうでも良いくらいの大詰めを迎えておるなあ。

カ:この物語も残りあとわずかになってきました。それではつづきをどうぞ・・・。

 

14.お熊の懺悔

新吉はお賤の手を取り、松戸へ泊まり、翌日雨の中を出立。塚前村にかかったときには日が暮れかかっていた。観音堂の一角を借りて雨宿りをすることに。

 

尼「ご参詣のお方でございますかえ・・・、さぞお困りでしょう、・・・足を洗って此方へ上がって、お茶でも飲みながら雨止みをなすっていらっしゃいまし」

 

囲炉裏端でお賤が尼の顔をつくづく見ていたが、

お賤「おやお前はお母(っか)アじゃないか」 

尼「はい、どなたえ」

お賤「あれまアどうもお母アだよ、まアどうしてお前尼におなりだか知らないが、本当に見違えてしまったよ、13年後に深川の櫓下の花屋へ置去にしていかれた娘のお賤だよ」といわれて尼はびっくりし、

尼「ええ、まアどうも、誠に面目次第もない、・・・そうも実に親子と名乗ってお前に逢われた義理じゃアありませんが、・・・不実の親だと腹も立ちましょうが、どうぞ堪忍して下さい、あやまります」

 

尼はお賤の母親のお熊だった。お熊は尼になった経緯やこれまでの自分がどう生きながらえてきたのかを打ち明ける。

 

新吉「・・・私は新吉という不調法ものでございますが、今から何分幾久しゅう願います」

お熊「このお賤は私の方では娘ともいえません、また親とも思いますまい、・・・私はこの頃は誰が来ても身の懺悔をして若い時の悪事の話を致します。・・・私の生まれは下総の古河の土井様の藩中の娘で、親父は120石を頂いた柴田勘六と申して、・・・お嬢様育ちでいたのですが、身性が悪うございまして、私が16の時家来の宇田金五郎という者と若気の至りで私通をし、金五郎に連れられて実家を逃げ出し江戸へ参り、本郷菊坂に世帯を持っておりましたが丁度あの午年の大火事があった時、・・・その時私は17で子供を産んだのですが、17や18で児を拵える位だからろくなものではありません。その翌年金五郎は傷寒を煩って遂に亡くなりましたが、年端もゆかぬに亭主には死なれ、子持ちではどうする事もできませんのさ。その子供には名を甚蔵と名付けましたが、何にあやかったのか肩の処に黒い毛が生えて、気味の悪い痣(あざ)があって、・・・菊坂下の豆腐屋の水船の上へ捨児にして、私はすぐ上総の東金へ行って料理茶屋の働き女に雇われているうちに、船頭の長八という者といい交情になって、またそこをかけ出して出るようなことになって、深川相川町の島屋という船宿を頼み、亭主は船頭をし、私は客の相手をして僅かなご祝儀を貰ってどうやらこうやらやっている中に、私は亭主運がないと見え、・・・これもまた死に別れ、・・・思い切って堅気にならないかといわれ、小日向のお旗本の奥様がお塩梅が悪いので、仲働きに住み込んだところが、これでも若い時分にはこんな汚い婆アでもなかったから、殿様のお手が付いて、僅かな中に出来たのはこのお賤。これも世が世ならばお旗本のお嬢様といわれる身の上だが、運の悪いというものは仕方がないもので、このお賤が2つの時、そのお屋敷が直に改易になってしまい、仕様がないから深川櫓下の花屋へこの娘を頼んで芸妓に出して、私の喰い物にしようという了簡でしたが、また私が網打場の船頭の喜太郎という者と私通をして、船で房州の天津へ逃げましたがね。それからというものは悪い事だらけさ・・・、ようよう改心しましたのさ、仕方がないから頭髪を剃こかし破れ衣を古着屋で買ってね、方々托鉢して歩いている中、この観音様のお堂には留守居がないからお比丘さん這入っていないかと村の衆に頼まれるから、仮名付のお経を買って心経から始め、どうやらこうやら今では観音経ぐらいは読めるようになったが、この節は若い時分の罪滅ぼしと思い、自分に余計な物でもあると困る人にやってしまうくらいだから、何も物は欲しくありません。村の衆が時々畑の物なぞを提げて来てくれるから、もう別にうまい物を喰たいという気もなし、・・・まだ二人とも若い身の上だから、これから先悪い事はなさらないようにどうぞお気を付けなさい。年を老るときっと報って参ります。輪廻応報という事はないではありませんよ」

 

新吉は打ちしおれ溜息を吐きながらお賤に向かい、

新吉「どうだえお賤」

お賤「私も初めて聞いたよ」

新吉「その小日向の旗本とは何処だえ」

お熊「はい、服部坂上の深見新左衛門様というお旗本でございます」

 

新吉は身の毛のよだつほど驚いた。8年前に門番の勘蔵から聞いた話と照らし合わせると、お賤とは腹違いの兄妹であり、本郷菊坂下へ捨児にしたというのはお賤が鉄砲で殺した甚蔵に違いなく、お賤にとって甚蔵は血統の兄であったことになり、実に因縁の深いこと。また、お累が自害の後、このお賤がまたこういう変相になるというのも、9年前に狂い死にした豊志賀の祟りなのか。なるほど悪いことは出来ぬもの、己は畜生同様兄妹同士で夫婦になり連れ添っていたとは、あさましい事だと重うと総毛だち、新吉は物をもいわず小さくかたまって座り、只ポロポロ涙を落としているばかりだった。

 

新吉は改心して、お熊比丘尼に弟子入りすることを決意。お熊が本堂へ行けば後に付いて参り、墓場へ行けば墓場へ付いていく。斎(とき)があればお供をいたしましょうと出て参り、とかくにお賤の側へ寄るのを嫌うようになったので、お賤は自分が半面変相になり、こんな恐ろしい顔になったから、自分を此処に置き去りにして逃げる心ではないかと訝っている。

 

月日が過ぎて7月21日のこと。藤心村の観音寺から12、3歳になる可愛らしい色白な宗観という名の小僧さんが寺男の音助と2人連れで訪ねてきた。村の繁右衛門殿の宅で23回忌の法事があるので、住職とともにお熊比丘にも来て欲しいとのことなので迎えに来たのだという。

 

新吉「今尼さんは他(わき)のお斎に招(よ)ばれて往ったから、帰ったらそういいましょう」

音助「・・・若けえによく掃除しなさるのう」

新吉「お小僧さんはお小さいによく出家をなさいましたね、・・・こうやって小さい内から寺へ這入ってれば、悪いことをしても高が知れてるが、お父様やお母さんもご承知で出家なすったのですか」

宗観「そうじゃアありません、拠なく坊さんになりました」

音助「この宗観様ぐらえ憫然(かわいそう)な人はねえだ」

宗観「親父は7年前に亡くなりました」といいながら宗観はメソメソ泣き出した。

音助「いつでも父様や母様の事を聞かれると宗観様は直に泣き出すだ、・・・しかし泣くも無理はねえだ」

 

音助がこれまでの経緯を説明する。

 

新吉「このお小僧さんのお宅は何方(どちら)でございますと」

音助「岡田郡羽生村という処だ」

新吉「え、羽生村、・・・父さんは何という方でございます」

音助「羽生村の名主役をした惣右衛門という人の子の、惣吉さまというのだ」

 

新吉は大いに驚いた。

 

音助「あんた、どうしたアだ、塩梅でも悪いか、酷く顔色が善くねえぜ」

新吉「ヘエ、なアに私はまだ種々罪があって出家を遂げたいと思って、この庵室に参っておりまするが、・・・こうやって毎日無縁の墓を掃除すると功徳になると思っておりまするが、今日は陽気のためか苦患(くげん)でございまして、酷く気色が悪いようで」

音助「お前さんの鎌はえらく錆びていやすね、研げねえのかえ・・・、己ア一つ鎌をもうけたが、これを見な、古い鎌だが鍛えがいいとみえて、研げば研ぐほどよく切れるだ、全体この鎌はね惣吉どんの村に三蔵という質屋があるとよ、そこが死絶えてしまったから、家は取り壊してしまったのだ、すると己ア友達が羽生村にいて、こっちへ来たときに貰っただアが、汝使って見ねえかよく切れるだが」

 

差し出された鎌を見ると、柄のところに山形に三の字の焼印があるので新吉は驚いた。ああ丁度今年で9ヶ年以前、累ヶ淵でお久をこの鎌で殺し、続いてお累はこの鎌で自殺し、廻って今また我手へこの鎌が来るとは、ああ神仏が私(わし)のような悪人をなに助けおこうぞ・・・。

 

新吉「お賤ちょっと来ねえ・・・」

お賤「あい、何だよ、今いくよ」

 

このところ疎々しくされていた新吉に呼ばれたので、お賤は心嬉しくずかずかと出てきた。

 

新吉「お賤、此処においでなさるお小僧さんの顔を汝見覚えているか・・・、羽生村の惣右衛門様のお子で惣吉様といって7つか8つだったろう」

お賤「おやあの惣吉様」

 

新吉は突然お賤のたぶさをとって引き倒す。

 

お賤「あれー、お前何をするんだ」というのも構わず手元へ引寄せ、お賤の咽喉へ鎌を当てプツリと刺し貫いたから堪らない、お賤は悲鳴を揚げて七転八倒の苦しみ、宗観と音助はびっくりし、

音助「お前気でも違ったのか、おっかねえ人だ、誰か来てくれやー」

 

そこへお熊比丘尼が帰ってきて、この体を見て同じく驚いた。

 

お熊「お前はこの間から様子が訝しいと思ってた、・・・何だって利(とが)もないお賤をこの鎌で殺すという了簡になったのだねえ・・・」

新吉「いえいえ決して気は違いません、正気でございますが、お比丘さん、お賤も私もこうやっていられない訳があるのでございます。お賤てめえは己を本当の亭主と思っているが、・・・てめえ一人は殺さねえ、・・・己も死なねばならぬ訳があるんだ・・・。」

 

新吉は自分が深見新左衛門の次男であり、お賤とは腹違いの兄妹であること、惣右衛門には大変な世話になっておきながら2人でくびり殺したことなどをすべて明かし、宗観に、

新吉「・・・私ども夫婦のものは、あなたの親の敵でございます、さぞ憎い奴と思召ましょうからどうかこの鎌でズタズタに斬って下さいまし。お詫びのため一言申し上げますが、お前さんの兄さん姉さんの敵と尋ねる剣術遣の安田一角は、五助街道の藤ヶ谷の明神山に隠れているという事は、妙な訳で戸ヶ崎の葦簀張(よしずばり)で聞いたのですが、敵を討ちたければ、その相撲取りを頼み、そこへ往って敵をお討ちなさい・・・。お賤、てめえと己が兄妹ということを知らないで畜生同様夫婦になって、永い間悪いことをしたが、もう命の納め時だ、己も今直に後から往くよ、お前宗観様にお詫びを申し上げな」

お賤「あいあい」

 

血に染まったお賤は善に帰って、ようよう血だらけの手を合わせ、苦しき息の下から、

お賤「惣吉様誠に済まない事をしました、堪忍して下さいまし、新吉さん早く惣吉さんの手に掛かって死にたい、ああお母さん堪忍してください。」

 

新吉は鎌を取り直し、我左の腹へグッと突き立て、柄を引いて腹を掻切り、夫婦とも息は絶え絶えに。

 

宗観「ああ、お父さんを殺したのはお前たち二人とは知らなかったが、思いがけなくお父さんの敵が知れるというのは不思議な事、また、兄さんや姉さんを殺した安田一角の隠れ家を知らせて下され、こんな嬉しいことはありませんから決して憎いとは思いません、早く苦痛のないようにして上げたい」

 

後を振り返ると音助はブルブル震えて腰も立たない状態になっていた。

 

宗観「お父さんや兄さん、姉さんの敵は知れたが、小金原の観音堂でお母さんを殺した敵はいまだに分からないが、悪い事をする奴の末は始終は皆こういうことになりましょう」というのを最前から聞いていたお熊比丘尼は、袖もて涙を拭いながら宗観の前へ来て、

お熊「忘れもしない3年後の7月小金原の観音堂でお前のお母さんをくびり殺し、120両という金を取ったのはこのお熊比丘尼でございますよ」

 

宗観も音助もびっくりし、絶え絶えになっていた新吉も血に染まった手を突いて聞いている。

 

お熊「私も種々悪い思いをした揚句、一度出家はしたが路銀に困っているところへ通り合わせた親子連れの旅人小金原の観音堂で病に苦しんでいる様子だから、この宗観様をだまして薬を買いに遣ったあとで、お母様をくびり殺したはこのお熊、私はお前様のお母様の敵だから私の首を斬ってください」

 

お熊は新吉が持っていた鎌を取って、喉を掻切って相果てた。3人の死骸は代官へ訴え検死済みの上、観音堂の傍へ穴を掘って埋め、大きな墓標が立てられた。これが今世に残っている因果塚で、血に染まった鎌は藤心村の観音堂に納められた。

 

 

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