「牡丹灯篭」(その4・完) | カクザンのブログ(岡山市の親子将棋教室)

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子どもたち、保護者の方に、将棋の楽しさ・魅力をお伝えします。次回教室は高島特別教室が6/30(日)、津山おもちゃ図書館特別イベントが7/7(日)の予定です。

カクザン:怪談「牡丹灯篭」も今回がいいよいよ最終回となります。ここからまだまだ長いはなしが続くのですが、一気に最後まで行きたいとおもいます。

テガタ:最後まで聴いて、この噺の主人公は孝助ということが納得できる。そして、一番最後に、これが何の噺であったのかが作者(円朝)から明かされる。それも楽しみにしてくれ。

 

4.孝助の仇討ち

主人の敵を追って越後村上まで行った孝助はお国と源次郎を見つけることができないでいたが、飯島平左衛門の一周忌の法要をとり行おうと江戸へ戻ってきた。谷中新幡随院の主人の墓を前に、これまでの報告と草場の陰よりの力添えをお願いする孝助。金子5両にて法事供養を行いたいとお願いすると、良石和尚が感心する。良石は孝助に、お前はこれから水道端の方へ向かうところであろうが、何か目出度いことがあるから早く顔を見せに行くように言われる。自分が水道端の相川新五兵衛宅へ行こうとしていることを見抜く良石に驚くと、新五兵衛宅では妻のお徳との間に男の赤ん坊が生まれていた。孝太郎と名付けられ、飯島平左衛門の生まれ変わりではないかと喜ぶ孝助。

 

翌日、孝助は新五兵衛とともに法事に出かける。 良石和尚は孝助に神田旅籠町に住む白翁堂勇斎の所に行くように勧める。尋ね人が見つかるというのだ。また、こうも言う。「孝助殿気の毒だが、お前はどうも危ない身の上でナア、剣の上を渡るようなれども、それを恐れて後へ退るような事ではまさかの時の役には立たん、何でも進むより外はない、進むに利ありて退くに利あらずと云うところだから、何でも臆してはならん、ずっと精神を凝らして、たとえ向こうに鉄門があろうとも、それを突切って通り越す心がなければなりませんぞ」。

 

新幡随院の帰り道、暗闇から突然曲者が孝助に斬りかかってきた。曲者をねじ倒し、斬りかかってきた理由を問うと、友達が皆徒党に襲われて逃げてきたのだという。ところが、後から捕方が駆けつけ、この男はお尋ね者の悪人なので引き渡して欲しいという。実は、この曲者は関口屋伴蔵で、秘密を知る山本志丈を今しがた殺してきたところであった。

 

場面は代わって勇斎のところで、孝助が実の母の居場所を尋ねると、既に何度も逢っているという。そこへ人相の悪い女がやってきて、4歳の時に離ればなれになった実の息子の消息をみて欲しいという。すると勇斎はやはり既に何度も逢っているという。もしやと思った孝助が女に尋ねると、それは母・おりえであった。母・おりえは黒川孝蔵と離縁後、故郷の越後村上で荒物屋の樋口屋五平衛と再婚したのだという。五平衛には13歳になる五郎三郎という男の子と、8歳になるお国という女の子がいて、そのお国という女の子はとても意地が悪いということで11歳の時に江戸へ屋敷奉公へ出されたのだという。そのお国が孝助の敵だと知り、因縁を感じる母・おりえ。現在は五郎三郎が宇都宮で荒物屋を開いていて、母・おりえはそこにいるのだという。そして、お国と源次郎はそこにかくまわれていたのだ。孝助に敵を取らせるため、母おりえは先に宇都宮に戻り、敵討ちの手引きをするという。母に感謝する孝助。

 

宇都宮に戻ったおりえは、お国と源次郎に、江戸で孝助から聞いた一部始終を伝える。あの孝助はとんでもないヤツですというお国に対し、孝助は19年前に別れた実の息子であることを告げる。仰天するお国と源次郎。孝助に2人の敵討ちをさせるつもりだったが、当家への義理もあり、2人を逃がしてしまう。

 

宇都宮明神の後道にさしかかったお国と源次郎を盗賊が待ち伏せていた。ところがよくみると、それはかつての奉公人であった相助とその仲間の亀蔵であった。お国と源次郎は2人に孝助殺しの手伝いを頼む。孝助に恨みのある2人はこれを了解。どこからか鉄砲を3丁用意してきた。源次郎は石橋の下に隠れ、孝助がそこを通りかかった時に、前後から鉄砲をもって孝助を囲み、そこを源次郎が斬りつけるという算段が決まった。危うし孝助。

 

孝助は宇都宮池上町の角屋に泊まり、その晩九ツの鐘が鳴るのを待っている。しかし、いつまでたっても母・おりえからの合図がないので、母がいる五郎三郎の荒物屋へ侵入する。母は念仏を唱えていた。状況を訊くと、母はお国と源次郎を逃がしてしまったという。自分を殺して敵を追いなさいと母・おりえは短剣を喉へガバリ。お母様と叫ぶ孝助を、母・おりえは血だらけになって早く行けと促す。五郎三郎に後をたのみ、孝助はお国、源次郎の後を追った。

 

待ち伏せていた亀蔵と相助が「待て孝助」と鉄砲をもって現れた。鉄砲をもったお国の姿もそこにあった。「卑怯だ、源次郎」と叫ぶ孝助。源次郎は孝助が逃げたところを後ろから討とうと狙っている。前へ進めば鉄砲で討たれる。この時、孝助の胸に浮かんだのが、「退くに利あらず進むに利あり」という良石和尚の言葉だった。孝助は「たとえ一発二発の鉄砲玉に当たっても何ほどの事あるべき、踏み込んで敵を討たずにおくべきや」とふいに切り込み、亀蔵の腕を切り落とした。と、同時に鉄砲も切り落とした。

 

ここで圓朝の解説が入る。「あの辺は芋畑がたくさんあるから、その芋茎(ずいき)へ火縄を巻き付けて、それを持って追いはぎがよく旅人をおどして金を取るという事を、かねて亀蔵が聞いて知っているから、そいつを持って孝助をおどした。芋茎だから誰にでも切れます。これなら圓朝にでも切れます」。

 

亀蔵が「アッ」といって倒れたので、相助は驚いて逃げ出すところを孝助は後ろから斬りかかる。これを見たお国は「アレ人殺し」と言いながら鉄砲を放り出し雑木山へ逃げ込んだが、帯が木の枝にからまってよろけるところを一刀あびせると「アッ」といって倒れる。源次郎は「おのれお国を斬った憎いヤツ」と孝助を斬ろうとしたが、雑木山で木が邪魔になって斬れないところを、孝助は後ろから来る奴があると思って、いきなり振り返りながら源次郎のあばらへ掛けて斬りつけた。お国と源次郎は顔をずたずたに斬られ、2人とも首をはねられた。日頃信心する八幡筑土明神のお陰で「首尾良く敵を討ち仰せました」と拝むところへ、「人殺し、人殺し」という声がするから振り向くと、目がくらんで前が見えない亀蔵と相助が孝助の方へ逃げてくるので、2人とも斬り殺した。

 

お国と源次郎の生首を下げてひょろひょろと宇都宮に帰ってきた孝助。往来の者はみな驚き、殿様へ訴える者もあったとか。孝助はすぐに五郎三郎のところへ行き、敵を討った次第を報告。母・おりえは既に息を引き取っていた。この一件は御領主様へ届けられたが、敵討ちの事だからと江戸表へ送り届けられることとなった。孝助は新五平衛のところへ帰り、首尾良く敵を討った始末を述べ、それよりお頭小林へ届ける。小林からその筋へ申し立て、孝助が主人の敵を討った廉(かど)をもって飯島平左衛門の遺言に任せ、孝助の一子・孝太郎をもって飯島の家を立て、孝助は後見となり、目出度く本領安堵となった。

 

その翌日、伴蔵がお仕置きになり、その捨札には飯島のお嬢様と萩原新三郎がくっついたところから、伴蔵が悪事を働いたということが書かれてあった。このため孝助は、主人のため、娘のため、萩原新三郎のために、濡れ仏を建立した。これが新幡随院濡れ仏の縁起であったという。

 

 

 

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