緩和医療の先生達が、患者に緩和医療を誤解して欲しくない
という話をしていらっしゃいますが、緩和の医師全員とは言いま
せんが、「誤解」の下地を10年以上かけて作られてきた方も居ら
れるかも・・・・・・・・・と、ちょっと思ってしまいました。
最後の何ヶ月かで立派な人だったという記憶に・・・・とか、
残される家族のために、良い記憶を残して・・・・・・・・とか、
受容が・・・・・・・とか、
いや、「患者本人」は何処にいるの?という感想さえ持っています。
まあ、残って居る人から感謝された方がいいですよね。
患者に呼びかけるよりも、他科の医師との理解を深める方が先というか、
大事なのでは・・・?
緩和を受けたいんですか。それでは治療は終了でいいですね。
緩和ですか?何のため?
緩和を受ける=治療終了 になってませんか?
患者はこれが怖いんですよ。
「緩和も治療です。」 この言葉の意味は?
「治療と一緒に緩和もやっていきましょう。」ならともかくね・・・・・・。
そのためには、他科の医師との協働が出来るかどうかですよね・・・。
それこそ、医師同士の問題では?
緩和病棟も緩和病床も、圧倒的に少ないのですから、絵に描いた餅状態
ではないのでしょうか。
理解が進まない原因を「患者側だけ」に多く求めたところで、本当の意見
は返ってこないんじゃないのでしょうか。
何だか、伝家の宝刀、「患者は理解していない。」という感じです。
追記
第四のナントカといっている限り、
緩和治療は、「終末期」と強く結び付けられて理解(誤解?)されていくでしょう。
そして、それは一面は、真実なのではないでしょうか。
終末期の痛みやら何やらを軽減してくれるのは有り難い事です。
しかし、治療・・・・・?まあ、痛みやら何やらの治療ですよね・・・。