「暗黙知の言語化」「医療におけるアートとサイエンス」を調べていました。
「看護はサイエンスとアートである。」(ナイチンゲールの看護論 byさすらいの金魚さん)
を手がかりに、あれこれ読むうちに、「ベナーの看護学」のベナー御本人の日本
での講演録ダイジェストに行き着きました。
○「理論と実践が育まれたとき、専門性は実現される」
パトリシア・ベナー博士来日講演会 講演録(2015年12月14日)
医学書院 医学界新聞 第3154号 より
・著名な看護理論家の一人
・理論を伴わなければ熟達した実践はできない
・実践を伴わない理論は理論以下の結果しか生み出さない
・理論と実践の両方が必要
一般的な事例と比較しながら個別的な事例を考える
変化をとらえるためには“実践知”が必要
特定の患者集団に対する学びが臨床的把握の一助に
臨床的想像力は、患者との関係性の上に構築される
・患者への良い係わりなくしては、十分な情報を臨床状況をから得ることは
出来ず、達人になることは出来ません。
・看護師の臨床的想像力は、患者との関係性の上に構築される
・「善の概念」(例えば実践の場で疼痛という苦しみを和らげて、快適さを提供したい)
が臨床判断と結び付いている
理論だけでなく実践知のコーチングを
・日本の看護の実践では、どのように寄り添うか、患者を気遣うというスキルに
長けている
※看護師さん達は、5つのスキル獲得の段階を経て、「看護の達人」の域に
達していく。
初心者レベル→新人レベル→一人前レベル→中堅レベル→達人レベルへ
※実践知に付随して来るものを暗黙知と理解して良いのだろうか?
『ベナー 看護実践における専門性』の目次を見ても、各段階において
内容は、当然異なっている。必要とされる社会的な役割も違ってくる。
必要と解説されているものは違っている。
※他の業界でもそうですが、天賦の才を持たない限り、仕事に必要なものは
経験を経て獲得するしかないものがあると思います。
ベナー博士の看護学は、経験値(看護ですから臨床実践知?)をどう獲得
するか、段階と内容を明確に整理されたということになるのでしょうか。
患者の前に立てば、「段階」は関係なくなるわけですから、その意味でも
大変な仕事ですね。(※新人さんかなあ~は、分かりますが。)
※心理的なものも「スキル」と表現するのが米国的だなあと思いました。
「スキル」には即物的な印象を受けますが、それだけでもないということでしょ
うか。
看護者が語る看護学のように
患者が語る患者学があってもいいような気がしますが、
患者となった後の、道の枝分かれが無数にありすぎて難しいでしょうね。
言えることは、患者だからといって、他の患者さんの事が分かるわけではない。
これにつきますかねえ。