今日もよく晴れていますが、風が吹いています。冷え込んでいます。

桜が散らないといいのですが。

 

「医師と患者の会話や対話は、どう成り立つのか。」

というのが、病気になって以来の課題というか、興味というか、疑問の一つで

す。

成り立たせるのに難しい理由としては、立場の違い、知識の違い、生活の違

い、見ているものの違い、考え方の違い等、色々あるわけですが、「実感(今風

に言えばリアル?)」の違いが、大きいのかもしれないと考えます。

 

患者は、医師によって治療を受けますが、治療の結果、「治癒」「快癒」「比較

的、楽になる」となるだけではありません。

 

別の「副産物」、副作用の現実は、実感しなければ理解し難いものなのだろ

うと思います。

だから、「がん治療医・専門医」「緩和ケア医」自身が、がんになった時、治療

の副産物を体験して、

「こんなに大変だとは・・・。」という感想を持たれるのでしょう。

 

患者としては、名の知られた「がん専門医」が、がん患者の世界に向けてだ

けではなく、医学生や若い医師に向けて、より広い一般社会に向けて発言し

てくれるは有難い話だと思います。

 

昨日、読んだ記事です。

〇希望とともに生きる がんサバイバー・クラブ

 「がん専門医が がんになって気づいたこと

  ~中川恵一先生のカルぺディエム(今を生きる)~   より

                掲載日:2019年2月13日

                (構成=日本対がん協会・中村智志)

※インタビューをまとめたものかと思います

 

〇超音波エコーで自ら発見

〇たった40分の手術

  ・・・・自分が患者になって、「手術による痛みへのケアがたりなかったな」

  と反省しました。

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  がん治療は、QOL(生活の質)の低下と引き換えに、将来の時間を手に

  するもの。ただ、未来は不透明です。

 

〇たばこは吸わず、運動も欠かさないのに・・・・・・・

  ・・・・・・・・・・根底では、「自分はがんにならない」と思い込んでいました。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

〇家で飲むワインの値段が上がった

  ‥・・・・・・・・・死生観が大きく変わったわけではありません。それでも、

  三人称の死と一人称の死では、違います。言葉としてわかっている死と、

  具体的に想起する死の違いでしょうか。論理が実感になるのです。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

※一人称の死と向かい合う患者に、三人称の人が「わかります。」という意の

 ことを発信することがありますが、「何を、どう、わかるのかな?」と思う時は

 あります。

 一番の疑問は、「何故、わかると言ってしまうのだろう?」ということです。

 

〇余命を告げるのはやめたほうがいい

(※インタビュアーによるまとめの中に

  中川先生も今回、本当の意味での「医療のリアリティー」を体感したという。

 という1文があります。)

 

〇たとえば、抗がん剤を外来で投与しているとします。医師が会う患者さんは、

 元気な姿です。抗がん剤治療を受けられる状態で来ているのだから、当然

 です。副作用で調子が悪いときには来ません。そういう患者さんを、医師

 は見ていません。

 

 ・・・・・・頭ではわかっているのですが、今回、実感しました。同僚の医師たち

 も、患者になってみないとわからないと思います。医師、特に若い人は、どう

 しても、患者さんを医療的なデータという視点で見てしまいます。

  今後私は、本当の意味で、全人的に患者さんを診られるようになる気がし

 ます。

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〇やれることはやって、体を守ろう

 (※検査の大切さについて話されています。)

 

※手術後の痛みにしろ、抗がん剤治療にしろ、支持療法はして貰っていても、

 痛みの出方、副作用には個人差があります。

 

 苦しいものは苦しいし、辛い時は辛いのです。

 

世に名前を知られた「がん治療の専門医」である中川先生が、より多くの人の

眼に触れる形で、週刊誌にも「医療を受ける側の実感」を発信してくれたのは、

副作用対策を考え続ける私の様な患者にとって、助けになります。

「副作用は、現実にあるのです。」と言いやすくもなります。

個人差があります。完全にコントロールなどできません。

 

支持療法の恩恵は受けています。

抗がん剤の主作用の恩恵も受けてきました。

しかし、自宅に帰って、副作用に耐える時間は、厳として存在します。

やり過ごすための工夫を、患者は、自ら調べ、確かめ、考案して実行していくわ

けです。

 

患者のリアルについて考えますが、お医者さんや医療者の皆さんのリアルにも

患者は思いを馳せるべきでしょう。

 

人員不足。過重労働。長時間勤務。感情労働として受けるストレス。絶え間なく

変わって増えていく新薬、新技術、新治療の学習。それらの大変さ。

お医者さんたち、医療者の皆さんのリアルも想像して、患者としてどうするかを

考えていく必要があります。

(スーパーマン・スーパーウーマンを期待してはいけない。)

 

 

他者のリアルへの感覚が鈍磨しない様にとは思いますが、最近錆びてるかなあ

とも思います。磨かないと・・。

 

さてお茶にします。

お茶話。

山形のお茶。

明治初期に、旧荘内藩士が栽培に取り組んだ「荘内産茶」というのがあったので

すが、気象条件の厳しさから、産業としては成立しなかったようです。

気象条件の厳しさというと、小説「月山」を思い出します。

「140年ぶりに〝庄内産茶"」と、栽培に取り組む 2011年「荘内日報」の記事が

見つかりました。

「松ヶ丘のお茶」というそうです。