朝、TVを見ながら「ながら家事」にいそしんでいましたら、懐かしの

ツジムラ ジュサブローさんの人形が紹介されていました。

「新八犬伝」の伏姫でした。400体程度作られた中で、現在動かせ

るのものは、伏姫だけという話でした。

 

「たまずさが怨霊~。」と玉梓という傾国の美女が怨霊となって現れ

るシーンが、当時、受けていました。

(この話が、ピンとくる方は、きっと私と同年配。)

 

ツジムラ ジュサブローさんの人形は、人形劇の人形に転換をもたら

したものだった様に覚えています。

使われている布の柄の美しさも、素敵でした。伝統の柄が色々使われ

ていました。

 

 

 

昨日、緩和ケアで働く人の話を読んでいたら、

現役の緩和ケア医が、「がん」になって感じ方がどう変わったかという

話が紹介されていました。

「患者」という現実は、やはり違ったようです。

 

朝日新聞のデジタル記事に一部紹介されていました。

三重県の緩和ケア医さんで、現在も非常勤医として働き、同時にその

病院の患者でもあるようです。写真の笑顔が素敵な大橋医師です。

 

御自分ががんになって、初めて「患者のリアルな苦しみ」に気づかれた

そうです。

「・・・よりよく生きる」と緩和ケアでは言われるが、「よく」など生きられな

い現実に遭遇されたようです。(確実に弱っているから)

大橋医師は、全てのがん患者に「しぶとく生きて」とエールを送りたい

そうです。

 

がん患者であっても、他のがん患者さんの事が分かるということは、

基本的にはないというか、深い意味では「分からない」ものなのだと思い

ます。

人生は無数の枝分かれの道を歩いているようなものだと思います。

がん患者の病気、生活も、同じものは存在しないでしょう。

「分かる。」とは、決して言えない。せめて、推察して共にいるぐらいでしょ

うか。大橋医師は「エール」と表現されているのでしょう。

 

彼・彼女の苦しみは、同じ種類のがん、同じステージのがんであっても、

みな違うのです。

 

「しぶとく生きて」

癌腫の違う友人が、かつて掛かっていた東京の病院で、同室になった

がん患者さんからかけられたという言葉と似ています。

その患者さんは、再発を繰り返しておられた様ですが、治療が可能な限り

は治療をする(その病院のある医師が、第1人者とも言われる、とある治

療技術を使って)という選択をされていました。

 

記事の題名が

がんになった緩和ケア医 「患者風」吹かせ好きなように  なのですが、

緩和ケア医として「患者風」を吹かせつつ、診察されているのか、

それとも、患者さんに「患者風」を吹かせましょうと勧めているのか

と考えましたが

「よい患者」にならなければ、「好かれる患者」にならなければ、「理想の患者」

にならなければという、「呪縛」から解き放ってくれる言葉のように思います。

 

医師・医療者に敬意を持って接する「普通の人・普通の患者」でいい訳です。

 

とある関西の医師は、がん患者さんから「いのち」の話を、色々聞かれて

「僕にも、ようわからへんのや。」

と答えられたそうで、私なら、この答えに納得です。

患者さんも「そんなもんなんや。」と、納得だった様です。

 

「分からへんもんは、分からへん。」ですね。

 

相当古いレンガ造りの塀の跡です。