晴れた日です。

富士の御山が不思議な見え方をしています。

陽の差し方の加減でしょうか。

 

 

昨夜、こんな時間に起きていてはいけないなと思いつつ、「東日本大震災の時

の医師たちの動き」を、医師たち自身が記録した写真をもとに検証した番組を

見てしまいました。

 

関東に住んでいた私でさえ、あの揺れの時、揺れが収まった時、仕事の上で

どう動くかの判断をする必要に迫られました。

 

 

あの時、東北のお医者さんや看護師さんたちが、どう考え、どう動いたかの記

録は読んだり見たりしてきましたが、今回の様な記録ははじめてです。

 

今回は、遠くから駆け付けた、災害緊急対応の医師、放射線治療の専門医、

地元大学の救急医ではあっても放射線災害については少しの資料しか持ち

合わせていなかったにもかかわらず、放射線被害者治療の先頭に立つことに

なった医師、事故の拡大を防ぐためにの最前線に立つことになった、ハイパー

レスキュー隊を被爆から守るために同行した医師を中心に、検証番組は構成

されていました。

 

大勢の医師、看護師、医療関係者、消防、消防団、警察、市町村役場、公共

施設で働く人がその場に留まりました。医療体制を整え、救助に向かい、可能

な限りの秩序を保ち、避難場所の開設や当初の運営を開始する。

 

友人は、事故が起こった日、近くで働いていましたから、その日からの数日間

を、何故だかはっきり覚えているそうです。

とにかく「職務遂行」。友人の家族は、皆、成人だったこともあり、取り合えず

家族のことは忘れて、「必要とされること」に取り組んだそうです。

 

 

外から中に入って行った、災害救急、放射線災害の治療の専門医の中に、

働く場所を東北に移された方が何人もいらっしゃることが、番組の終わりで

紹介されていました。

 

あの日、あの地に留まり続け、妊婦さん達を守られた産婦人科の医師や、

高齢の病人を動かすことを拒否して残った医師、病人を送り出さないわけに

はいかなかった医師がいて、他の場所では、大勢の医師が信じられない数

のけが人や病人の治療に当たったといいます。

外から駆け付けた医師、看護師の皆さんが、放射線災害の救急医療をどう

展開し、現実に対応していったのかを知りました。

 

自衛隊ヘリコプターからの水の投下活動から始まる一連の冷却活動が、破

局を回避していったのだなと改めて思いました。そのそばで、医師たちが、

自衛隊員と消防隊員を守ってもいたわけです。

 

当時、放水による冷却が始まる前、三重県から巨大なクレーン(放水に使用)

を運ぶ、二人の運転手さんがTVクルーの質問に答えていたのを思い出します。

内容は、正確に覚えていませんが、どういう状況の場所に運んでいくのか、は

っきりと分かっていて引き受けたという話でした。お一人は中年以上、お一人は、

まだ若い人でした。

 

輸送網を確保し、引退間近だった燃料輸送貨物車を使えるようにするなど、あら

ゆる現場の人たちが知恵を出し、技術を使い、対応していった時間だったのだ

と思います。