・・・と叫んだところで、「悪心ちゃん」がどこかに飛んでいくわけでもなく、冷静に

考えて、私の悪心状況は、十分コントロールされている状態に、分類されるだろ

うなあと思います。

(所謂、忍容性がどうのこうの話になると、自宅で苦しむ度合いが少ないようにと、

 主治医が処方してくれる薬は、効果を発揮していると考えてよいかと思います。)

 

しかし、悪心が消えてなくなるわけではなく、体調に左右されるところは大きいの

かもしれません。

今回は、悪心と疲労感が甚だしく、

「気持ちが悪い。動きたくない。疲れた。お腹が痛い。お腹が張る。」

で、寝台でごろごろと過ごし続けました。

補水さえ面倒に感じ、

「アカン、このままでは脱水症状になる。」

とも、思いました。

 

若い時に、一度、脱水症状では「危ない」を経験しましたので、なんとかかんとか、

「飲む」ということは続けました。

(意外に、冬場に起きる脱水症状は多いそうです。私の御同輩、先輩にあたる後

 期中高年以上の年齢の方は特に、ご注意をとのことです。)

寝室に飲食物を持ち込まない習慣ですが、枕元にミネラルたっぷりの麦茶を、ど

んと置きました。それでも、「飲むのが面倒」な気分に・・。

 

 

深く調べていませんが、

外来抗がん剤治療で、自宅に帰り、持続点滴ポンプを付けたまま、補水せず、脱水

症状に陥ったとしたら・・・・・・・。

いい事は予想できませんね。

 

がん患者の人数。

国家経済と、個人の経済。両方の経済問題。

患者自身の治療と生活との兼ね合い。

医療技術や、薬剤、器具の進歩。

医療に携わる人の数や、労働環境、労働時間の問題。

外来抗がん剤治療は、時代の趨勢でしょう。

しかし、初回、入院でかなりのレクチャーを受けた私でも、戸惑う事が多いのは事実

です。

 

個人的な考えですが、

副作用については、本当に、医師・医療者に理解されているのだろうかという疑問が、

頭をもたげます。

支持療法薬の開発や増加が、副作用への対応を飛躍的に発展させてきたのは事実

でしょう。私も、その恩恵にあずかっています。

 

けれども、患者は、帰宅してからが副作用との闘いです。(副作用には個人差があり

ますし、薬剤によって出てくる症状も相当違います。)

ある年齢より下のお医者さんは、処方はすれども、患者の副作用は、ほぼ目にしない

という状態にもなるのではないのでしょうか。

 

がん治療医が、自らがん患者になった時、「副作用が、こんなに大変だったとは・・・・。」

と述べられますが、「患者集団」としてしか、「患者」を診てこなかったという告白のよう

にも思えます。

 

これは、一面、無理もないことだとも考えられます。ある意味、医学は技術を提供するも

のでありますから。

だから、慎重なお医者さんは、安易に副作用について、「大丈夫です。コントロール可能

です。皆さん、元気ですよ。」といった類の事は、語らないのでしょう。

医学の限界を、肝に銘じて、患者は、一人の人間であると考えておいでなのでしょう。

 

患者もまた、医学の限界を知る必要があります。

「副作用は辛いけれど、主治医は打てる手は打ってくれている。」

(でも、大変なのよ~。と、「泣き」も入ります。この「泣き」をどうするかが、患者一人一人

 の選択に関わってくるかもしれません。私の場合は、呪文のように、「冷静に~冷静に~。」)

 

帰宅した後の、副作用の苦しさを言うと批判さえされかねない怖れも出てきました。

(大したことないんでしょ。お医者さんだって、そう言ってる人いるじゃない。となって

 来ることを怖れます。「辛い。」とさえ、話し辛くなる事を怖れます。)

「辛いときはつらいのよ~~~。」と密かに?叫んでみる。(副作用には個人差があります。)

 

今回は、なかなか、副作用の沼底から這い出しきれない、小母さんのボヤキでした。

「胃が変!ベリーラ紫蘇を飲むぞ~。」

と、晴れやかに叫んでみる。(ご近所迷惑にならないように。)