小雨模様です。

これが秋雨になっていくのでしょうか。

人には、それぞれ、自分を動かす何かが、内側にあると思います。

 

私の場合は、まずは、自分で知っておきたい。という所でしょうか。

何せ、緊急入院する時に、危険を感じて呼び出して下さった一般内科

の先生に、

「この場所が酷く痛くて、この数値という事は、癌という事が考えられる

 でしょうか。」

と、救急処置室で、質問を始めて(少々、詰め寄るように。笑。)しまっ

た私です。

 

今、考えれば、診断が確定していないのですから、お医者さんとしては、

曖昧な言葉で、そうだと予想は出来ていても、答えられる訳はありませ

ん。

多分、医師としては話してはいけない場面でしょう。(困らせてしまって

申し訳なかったなあ。)

 

「高い数値ですから、詳しい検査が・・・・・・。」

といった説明(まあ、当たり障りのない)をして下さってる内に、機転を利

かせた(と思われる)救急対応の看護師さん達が、あれよあれよという間

に、私を寝台に乗せて運んでいきました。腸管破裂を免れて、今、現在も

生きています。

 

という訳で、元々、「知りたい。」「自分で調べずにはいられない。」という事

で、昨日の続きです。

 

「緩和ケア」の専門医として、治療者になる医学生・若手医師はどのような

「医学教育」を受けて来られるのだろうか。

 

について、臨床実習、臨床研修という事から調べてみました。

調べてほっとしたというか、良かったと思った事の一つは、何処をとっても

金太郎飴という様な事は無いのだなと思えた事です。

 

知識と技術は、何処をとっても精密・緻密・強固な金太郎飴に近い方がい

い様な気がしますが、「対人」は、どんな職種もそうはいかないと思います。

「対人」についても「技術」や「方法論」は、ありますが、それを使うのは、一

人ひとり違う人間です。

自分に合わせて工夫したり、磨き上げたりしなくては、はやばやと、いき詰

まるかと思います。

 

研修には、基本や基準はあるのでしょうが、多様性のある研修という受け

皿が無ければ、それこそ多用な患者を診療し、患者と話し合う関係を作る

という力を付けていくというのは難しいでしょう。

(話し合いつつ、医師と患者の適度な距離を、互いの為にも保たなければ、

 双方共に、疲れ果てる・遠慮して本当の所は話せない・踏み込み過ぎる

 の泥沼に足を捕られかねません。)

 

○「DOCTORASE 医学生がこれから医療を考えるための情報誌」

                                      (Japan   Medical  Association)

   緩和の視点 患者の生に向き合う医療  

を読む事が出来ました。

 

○医師に求められる緩和の視点:   

    木澤義之先生(神戸大学医学部附属病院 緩和支持治療科

              神戸大学大学院 医学研究科

              内科系講座 先端緩和医療 特任教授)

 ※「地域密着型がん緩和医療専門医養成コース」で4年間の教育プログ

   ラムが設けられており、臨床研修は、緩和病棟1年間、在宅ケア6か

   月、 チームケア6か月、計2年間の臨床研修が必須とありました。カ

   ナダに留学されていた時、まだ緩和ケア医のプログラムが無い日本で

   どの様に研修すればよいかを指導医の相談なさった時、「まずは総合

   診療や家庭医療学を勉強した方がいいよ」と勧められたとありました。

   当時、その研修も難しかったということで、御苦労も多かったようです。

 

木澤先生の言葉の中で印象的な言葉。

   「…医学の限界がは必ずあるんです。だからこそ、医師は一人の人間

    として治すことができない患者さんとどう向き合うのか追求しなければ

    ならない。そして、治らない患者さんとどうやって一緒に生きていくか

    を考えなければならない。難治性症状の緩和と治癒が難しい患者さん

    と共に生きること、この2つに興味を持ち、患者・家族とともに、努力を

    続けることこそが、緩和ケアの専門性だと考えています。」

   ・・・・・・「善」と「悪」などといった価値判断を加えないで物事を考えて見

    てほしいということ・・・・・」

   「僕らは患者さんのヒストリーを聞く立場だからこそ、逆に自分が話す機

    会も作っていかなきゃならない。話す事で互いの事が分かり信頼関係

    が築ける。

    それが無ければ、緩和ケアは出来ないと思います。価値観の向こうに

    あるものを見つめていくということ。・・・・・」

  

○医師に求められる緩和の視点:

    細川豊史先生(日本緩和医療学会 理事長

              京都府立医科大学病院 疼痛緩和医療部 部長

              京都府立医科大学 疼痛・緩和医療学講座 病院教授)

○死について考える機会の重要性

 

細川先生の言葉の中で印象的な言葉

 「がんと診断されて、はじめて死を想起する患者さんも多い。・・・みなさん

  (医学生)が一度でも腰を据えて生と死を考えたことがあるかどうかで、

  患者さんへの接し方が大きく変わってくるのではないかと考えています。

  ・・・・大学で教えている学生には、「もし今『あと3ケ月しか生きられない』

  と言われたら、自分なら残された時間に何をするかを真剣に、それも24

  時間考え続けてほしいと伝えています。・・・・・・それぞれ、内容や感じ方

  は違いますが、・・・・・・

  何をしたから正解というものではありませんが、この試みをやる事自体

  に大きな意味があると私は考えています。」

 

※各大学、各病院でそれぞれのプログラムが組まれている様です。

 中には、一回生の実習(短期 見学に近いかもしれません。)を行っている

 所もありました。

 外科医であり、緩和ケア医であるという方もいらしたし、あらゆる病気が、

 緩和ケアの対象であるという熱血漢だなあという印象で説明する大学

 病院の緩和ケア医、都市部の病院、地方の病院と、

 内容は色々でした。(読んだ限りでは。)

 緩和ケアは、地域特性に大きく影響されるものであるのは事実でしょう。

 

まだ、水面をかすったぐらいしか、医学生、研修医の受ける「緩和ケア」を学

ぶための「医学教育」の中身は分かりません。

 

「メメントモリ」(死を記憶せよ 死を思え 自分がいつか死ぬことを忘れるな)

 ラテン語だそうですが、英語が堪能な知人と、この言葉の意味について話

をしたことがあります。

私は単純に物語に出てきたので、どう言う時に使われるのかを尋ねたのです

が、知人が言うには、

ラテン語で、言葉には文化的背景・宗教的背景があるから、日本語で解釈す

ると、こっちは日本人だから微妙にずれてしまう事もある。いつか死ぬんだか

ら今を楽しめという解釈もあるし、重くも、暗くも、明るくも取れそうな気がする。

正直、ラテン語の専門家に私も聞きたい。

でした。

 

私は末期癌(癌末期ではなく終末期でもない。今の区分なら、進行期を進行中)

のがん患者ですが、がん関連の文章を読みますと、

「あなた、確実に死ぬんですよ。忘れてませんか。分かってますね。死を思っ

 て下さい。」

と、お医者が連呼しとるんかいな?と思うものを目にすることがあります。

(いや、そんなつもりは無いですよ。)と答えも返って来そうです。

 

正直、

「忘れてませんて。そんなに連呼せえへんかって、覚えとります。」

と混ぜっかえしたくなるような・・。

死を思いつつ、可能性を探る人もいて、

生きると決めて、可能性にかける人もいて、

何もかも、自然のままにという人もいて。

緩和ケアは、患者の意思と選択を尊重し、支援してくれるものでしょう?と思っ

っているのですが。どうでしょう。

 

花は花