台風は通過した後も影響が残ります。

川は増水するし、波の荒れは収まらない。

山や、がけ地の危なさは、これからだと思います。

気圧変化の影響か、膝が痛いです。

 

里山に限らず、山は手入れを続けているからこそ、保水力を保

ってくれています。

農・山・漁村は、安全な食物だけではなく、安全の基礎を提供

し続けてくれてきたのだと思います。

 

 

「癌と痛み」の勉強を続けていますが、これは、「薬剤」の問題を

自分という患者としては、どう考えていくかの為でもあります。

何せ、化学物質に対するアレルギーがありますから、慎重には

なります。

ついでに充分に小母さんですから、

「何故?理由は?確実性は?事故率は?・?・?・?」

と次々と、疑問と質問が浮かんで来ます。

 

「薬で、ほぼ、完全にコントロールできます。」という、世間に流布

される説明には、

「ほぼって、どれぐらい?」という疑問が。

 

「どんな薬でも事故は起こります。運が悪い場合もあります。」

とくれば、

「いやいや、運という説明で片付けられる患者の身にもなって下さ

 いよ。」というボヤキが。

 

「医療事故は起こります。」という説明には、

「それはそうでしょうが、起こらない工夫の実践・実行は?」

等と考えてしまいます。

 

数年前に読んだ、浜松の医療センターの先生が書いた文章の中に、

「医療事故の最後の歯止めは、患者さん自身なのです。病院や医師

 や看護師を疑えという訳ではありませんが、最後は患者さん自身が

 チェックする目を持って下さることが、患者さん、医師、看護師を守る、

 相互に守り合う事になるのです。」という意の事が書かれていました。

お名前を覚えていないのが残念です。

 

患者は、ほとんどの場合、医学の素人です。素人の学習を揶揄したい

のかな?と感じられる専門家の発言も時に見られますが、一人の患者

は、自分という患者の専門家です。

患者自身が、自分に何が起こっているのか、治療方法や薬剤の性質・

効果・副作用等の知識を付けておかないと、チェックさえ覚束ないので

はないか、そう考えての学習です。

 

残念ながら、薬が全てを解決するほどには、癌及び、癌の周辺医療

は進んでいないというのが現状かと思います。

「いい薬が出来て来ました。」という、表現を見る時、

「それはそうでしょう。しかし、それだけでは足りないのです。」

足りないと感じている患者が、生きるために冷静に選択し、薬以外に

+αとしての何かを選んでいく、それはごく普通の事かと思います。そ

して、それは患者の権利です。そう思っています。

 

 

痛みについて勉強していますが、

個人的な理想は、東郷平八郎元帥と主治医の会話です。

「これは、痛い病気なのです。」という主治医。

その言葉を聞いてからは、「痛い。」と騒がなくなった元帥。

私は、盛大に「???????」と質問する小母さんなので、

盛大に、かつ冷静に騒ぎ、自分の痛みを細かく説明したいと思います。

 

患者が「これぐらいなら、付き合える痛みかな。」という治療を受けたいと

思いますが、(薬剤治療は、どんな場合も、肝機能・腎機能に影響を与え

ますから、抗がん剤治療続けるなら、兼ね合いをどうするか。抗がん剤治

療自体が痛み治療という側面もある訳ですし。)バランスが大事になるの

ではないでしょうか。

 

幸か不幸か、私には、お薬万能信仰の様なものがありません。

効く時もあれば、効かない時もある。(本当は、効くと思って使った方が

結果は良いらしいですね。所謂、プラセボ効果に近いもの。)

患者とのコミュニケーションを通じて、良い「匙加減」を探って貰いたいな

あと思うだけです。

 

友人は、とある薬を飲んで、かつて

「痛みからは救われるんだけど、気持ち悪さ、夢見の悪さが凄いのよねえ。

 あれって、幻覚かしら?痛い方がまだましの様な気がして、相談だわ。」

と言っていました。

 

「難しいのねえ。でも、相談しやすいお医者さんで良かったね。」と私。

「熊さんみたいなんだけど、話しやすい方なのよー。」と友人。

「熊さん?」

(長屋の熊さん?北海道の木彫りの熊さん?イギリスの著名熊のパディン

 トンさん? 月の輪熊さん?と勝手に想像する私です。)

 

友人の最大の薬の一つは、話しやすく相談しやすい主治医の存在かもし

れません。

緩和病棟に入院のはずが、自宅で家族に美味しい食事を作っています。

(ああ、図々しくも、食べに行きたい!)

 

菊の花