今朝も、富士の御山は見えません。

春に、なって来たという事でしょう。空気中に、水蒸気が増えて来たので

しょうか。春霞の季節が、到来でしょうか。埃と花粉も・・・・・。

 

患者は薬の事を知らない、勉強が足らないという医師がおられます。

では、患者は、どの程度、医師から、薬についての説明が受けられるので

しょうか。

入院中を思い出してみます。

 お腹をきれいにするお薬です。

 眠れるお薬です。

 痛みを和らげるお薬です。

 炎症を抑えるお薬です。

 感染症を防ぐお薬です。

 栄養剤です。

こんな、感じでしょうか。実際は、お医者さんからというより、看護師さんから

という感じだった様な・・・。

そして、看護師さんからは、

何か、オカシイと感じたら、ナースコールをして下さい。

 

ナースコールで、看護師さんは駆けつけてくれますが、薬の処方、変更の指

示は医師の職分に入ると思いますので、患者が薬によって苦しいと訴えても、

即座に対応出来ることと、出来ない事があるのだと思います。

場面によっては、看護師さんは、お医者さんと患者の板挟みになる事もある

のかなと思う事もありました。

 

主治医が、病院にいれば問題はないと思いますが、主治医であるお医者さん

が、いつも、病院にいる訳でもありません。

学会に出席、他院で仕事、お医者さんも「医師生活」以外の生活がある訳です

から、プライベートで連絡不可能な場所にいる事等が考えられます。

他のお医者さんが、指示してくれるのではと思いますが、そう簡単なものでもな

いようです。

 

大病院等では、医師も、指導している立場、指導されている立場、所謂、上級医、

その元で研鑽に励んでいる医師、前期研修医、後期研修医と、色々な立場の医師

の集合体という側面もあるようです。

上級医の指示を覆す(簡単に覆るのも問題ですが。)事は、中々、出来るものでは

ないだろうと思います。(医師間の連絡がとれていれば、指示を仰ぐ。助言を求める。

ということも速やかに行われると思いますので、患者の心配は杞憂となると思いま

す。)

 

私が薬にこだわるのは、何回か書きましたが、入院中、非常に苦しい経験をしたから

です。最後には、看護師さんが、その日、病院にはいなかった主治医に、何とか連絡

をとってくれて、漸く、解放されました。

その薬は、一般的に使用される薬で、私の様に副作用を訴える人は、統計上少数派

です。(後で調べた所、少数ではあっても、数字に残る人数というか、%はありました。

その場合の薬の選択は・・・・。という説明もついていました。)

 

当直の医師はいたはずですが、何分、手術後に使われる一般的な薬でもあり、私の

苦しさは、当直医師から見ると、「許容範囲」だったのかもしれません。

術後でしたが、患者として医療側を説得するために、脂汗を流しながら、点滴される

輸液や薬剤の、名前、形状、順番、開始時間、取り換え時間を記録して、「絶不調」に

陥る薬を割り出しました。そのうえで、複数回に渡る「交渉」を始めた次第です。あの時

の、クール・クールだけど、実は、とっても親切だったのね。と思い出す、何とか、主治医

に連絡をとってくれたベテラン看護師さんに、いまも感謝しています。

 

医師の中には、患者は薬を知らないという方がいますが、では、医師は、患者に、薬の

主作用・副作用を説明してますか。と、問い返したくなります。

それとも、薬の、患者への詳しい説明は、「患者は薬を知らない。」という医師から見ると、

それは、医師の職分ではないとなるのでしょうか。

 

補助的抗がん剤治療を始める時、抗がん剤の役割、副作用、期待される事、現実の数字

(これは、私から話題に乗せました。奏効率について、本当の意味を確認したかったので。)

等の説明と、パンフレットもよく読んで下さいねという説明を貰いました。

「調べた上で、説明を聞く方が良い。」と、既に考えていたので、調べて得ていた情報を

確認したという感じでした。

主治医は、説明が詳しいほうの方だと思います。(助かってます。)

 

しかし、「自分にとっては、まだ不足」感を解消する為に、セルフケアも薬剤の説明も、

セルフサービス的に調べる様になりました。公共のセンター・大学病院の情報提供・

製薬会社の情報提供・米国、欧州の公共の情報を当たるという事をするようになった

わけです。

「医療関係者の為のサイトです。」というのもありますが、一般人癌患者をはじくサイト

の中身って、何なんでしょうね。余程、学術的なのでしょうか。

 

主治医も、化学療法室の専門看護師さん達も、患者の勉強を嫌がらない方たちだった

のが、私にとって幸運でした。「患者が、何を言い出すのやら。」という雰囲気はありま

せん。

予め、勉強した上で話せるのは、私にとっては余分なストレスを抱え込まずに済むとい

う事です。勿論、意見が、すべからくぴったり等という事はありません。話し合いが可能

だという事があり難いのです。「何を言ったところで否定、否定。話し合いは不可能。」

と感じる診察室では、ストレスに負けていたでしょう。

病状も、体調も、サクサク、悪化していたかも。

 

「天は自らを助くるものを助く。」

子供の頃に読んだ本にあった、有名な一節。子供の頃は、何故か、福沢諭吉の言葉だと

思っていたのですが、「自助論」(西国立志編)の序文の一節でした。

(著者スマイルズ、訳者中村正直)

何故、福沢諭吉の言葉と思っていたのか調べたんですが「学問ノススメ」と「西国立志編」

は、明治の青年の、2大必読書だったという事で、混ぜた記憶になっていたのかもしれま

せん。明治時代に生きていたわけではありません。昭和時代に、「歴史」の授業で学習。

 

 

抗がん生活を助けるものの一つは、自分で、自分の癌及び癌に係わる事について勉強す

る事だと思っています。誰かに決めてもらうのではなく、自分で決めるために。

 

咲くのを待つ

人も、花も、本当の暖かさと出会ってこそ語り出すもの。

光だけでは、不十分ですね。まだ、咲いてくれません。