今日も晴れていますが、雲が多く、富士の御山は見えません。

しかし、乾燥は相変わらずです。大物洗いに徹しますか。

 

先週、病院に行った日に、つい週刊誌を買ってしまいました。

インターネットでも、話題に上がっていましたが、「医師の本音」を、がん診

療経験のある現役医師にアンケートを取ったものが扱われていました。

がん診療といっても、がん治療医だけに聞いたという訳では無いようです。

以下は、私という一患者の個人的な感想です。

 

本音は誰にもあるもの。

対人の仕事が、大きな割合を占める職種なら、正に「天職」についた人で

なければ、微笑みながら、泣いてる。または、奥歯を噛みしめている。また

は、その他の感情・考えが湧くことがあっても、当たり前の様な気がします。

お医者さんも、生身の人間です。

 

養老先生が、「天職」(就きたい仕事に就く)に出会って就いている人など、

1万人に1人(うん?10万人だったか?100万人だったか?)という意の事

を書いておいでの文章を、若い頃に読みました。

なるほどと思った事を覚えています。

養老先生が仰りたかった事は、出会った仕事を大切にして、そこで力を尽く

すというか、努力を重ねることの意義だったと思います。

若かった私は、何やらが、胸に落ちた気がしたものです。

 

話が、それてしまいました。本音の話でした。

患者にも本音があるように、医師にも本音がある。当たり前ですね。

本音も大事ですが、私は、本音が極めて重要・重大事という風には思わない

し、考えません。人間の社会は、人と人の間にあるものを、どう理解し、どうす

れば、より良い対応が出来るかを探って来た歴史の積み重ねだと思うからで

す。

 

上手く進む事も有れば、そうでないこともある。選択する方法が一致しない事

もある。ましてや、仕事上のやり取りをしている現場(医療現場も含めて)では、

当然あり得る事でしょう。医療現場で、齟齬の起きる大きな理由は、命の支払

いをするのは患者であり、医師ではないという事からではないかと思います。

 

医師は、命に関わる場面が少ない科の方は別としても、がん医療に日常的に

かかわる医師(がん治療医と纏めてもいいのでしょうか?)ならば、万事めでた

しとはならない患者を、日々、見送る事になるのでしょう。

柔らかな心をお持ちの方ほどお辛くなるでしょう。自らを鍛え、強靭な精神に鍛

え上げていくのでしょうが、患者から見ると、「ちょっと、違うんじゃありません?」

と感じる場合もある様に思います。(患者側の本音ですね。)

 

記事に出て来た医師の言葉で、共感できたのは、順天堂大学の鈴木医師の

指摘(記者の表現)。「皆さん、一般論を求めますが、がん治療は患者によって違

う各論の世界。体力や年齢、社会背景、治療効果とリスクを考えることが必要で

す。どのステージでも、自分にとって意味のある治療を選ぶべきです」というもの

です。

患者が求めているのは、話し合いの上で、納得できる、正に、この各論の治療だ

と思います。

 

患者や家族が医師を悩ますケースに「ある回答」が37%と出ていました。

麻酔科医が、「本人の怒りや認めたくない気持ちが強すぎて、治療する上でコミュ

ニケーションに支障」と答えておられますが、この方は、「コミュニケーション」を、

どう捉えているのか、詳しく知りたいものだと感じました。話し合いが出来ない状

態にあるからコミュニケーション不能と捉えているのでしょうか?

麻酔科医が、がん治療に関わるケースって、手術以外だと終末期医療でしょうか?

 

もう一つ、TV番組や雑誌記事に取り上げられるがん関連情報について、救急医療

科医が、「負担のある治療を受けてがんと闘う姿だけでなく、余命を受け入れて安

らかに暮らす人の姿もクローズアップしてほしい」と語られていますが、人の悪い私

には、これって、救急医療科医のある種の悲鳴が入っている?様にも思えました。

 

余命が簡単に告知されてしまう(もちろん簡単にでは、ない事の方が多いでしょうが。

私など、自分から、かくかくしかじかですかと確認してしまいました。変な患者です。)

現在の状況では、問題も起こりそうな気がしました。

 

「余命を受け入れて安らかに暮らす人の姿もクローズアップ」が、「・・・・・・・・・姿を、大

きくクローズアップ」に変容すれば、度を過ぎた終活の勧めは、脅しと変わらない。

同調圧力が強い社会では、「余命を、受け入れないのがオカシイ。」に変わり兼ねない

恐ろしさがあると思うんですがねえ。

何にしろ、両方を紹介する事は大事かと思います。

 

私としては、西の、とあるお医者さんが語る

「いつ、どうなるかなんて分からないんですよ。いつやめればいいかも。」という診察室

に魅かれます。こういう話なら、

「そうですねえ。そうやったら、こんな感じで頑張って、後は、こんな感じで・・・。」と話し

合えそうです。

 

 

緩和医療や腫瘍内科に関わる方で去り方について、色々、語られる方はいます。

医師も色々な考えがお有りです。医師、それぞれでしょう。

 

正しいベルトコンベヤーに乗りましょう。正しいバスに乗りましょう。または、降りましょう。

は、勘弁してほしいと思う、今日は、ニヒル型小母さんでした。

 

「それは、貴方という医師の考えであって、私という患者の意思ではない。」

という所でしょうか。

 

 

 

お医者さん側も、患者が、押し付けられている。怖くて言えない。言ったところで無駄だ。

と感じている。見捨てられそうで、本音なんか口に出来ない。では、困るのではないでし

ょうか。

 

という訳で、いつもの結論です。やはり、双方向性のあるコミュニケーションの積み重ね

が重要なのではないでしょうか。

 

春を見つける