良く晴れた日です。従って鼻が痛い。
風邪・インフルエンザに、要注意です。
鼻孔が乾燥していると、経験上、私は風邪を引きやすくなるようです。
ここのところ、偶然、医師は「患者の選択の権利・意思決定の権利をどう
捉えているのだろうか。」と、考えさせられる医師の文章を立て続けに読
む機会がありました。
医師ですから、患者の事を考えての文章だとは思いますが、どうも「指導
対象」や「介入対象」としてしか「患者」を見ていないのかな?と思われる
事例が続いてしまいました。
中には、進行癌患者は、苦しさの中で間違った選択や決定をするものだか
ら、医師が順序良く・・・?。とでも言いたいの??そして、正しく、去って行
きなさいとでも???と思える表現も。 書くのも辛い。
表現の問題ならば、まだいいのですが、そうでないのなら・・・。
正しさは誰のためのものなんでしょうねえ。
進行癌患者(末期癌であっても、癌末期ではまだなく、終末期でもない。)
は、「指導」され、「介入」され続けなければならない存在なのでしょうか。
世界医師会の宣言を自分の勉強の為に読み続けています。
キイワードを頭に入れる様に読んでいます。「」が無いのは、元の文章その
ままです。
世界医師会(WMA) 1947年(昭和22年) パリにて成立
NGOの国際的な連合体
NGO(non-gogermental organidation) 民間人や民間団体が作る
非政府組織(機構)
〇WMAリスボン宣言(和文) 日本医師会訳 日本医師会ホームページより
〇患者の権利に関するWMAリスボン宣言
(1981年9/10月リスボンにて採択 1995年バリ、2005年サンティアゴにて修正)
10、尊厳に対する権利
a 患者は、その文化及び価値観を尊重されるように、その尊厳とプライバシ
ーを守る権利は、医療と医学教育の場において常に尊重されるものとする。
※ とある、ほぼ知らない看護師さんに、幼児の様に扱われた時には、真剣に
断り、それでも繰り返された時には、真面目に、こんこんと、私の感想及び
「やめて貰いたい。」という旨を伝えました。
その看護師さんは、よかれと思ってやっているのだろうと、思いはしましたが、
私に、何の断りもなく、私の持ち物を採血が済んだ診療台(化学療法室でも、
診察室でもありません。)の上に並べ始めた時には、心底、頭を抱えました。
「どう見てるの?どう見られてるの?なんともはや。これが続くの?」
まあ、これは、小さな尊厳問題ですが。
※ 医師と話し合わねばならない価値観は、それこそ、生死の問題です。
b 患者は最新の医学知識に基づき苦痛を緩和される権利を有する。
※ この「苦痛を緩和」というのは捉え方が難しいものだと思います。正に、ここ
に患者一人ひとりの「尊厳」の問題が出て来るのでしょう。私は、肉体的な痛
みは緩和して貰いたいと思いますが、過度な心理的な介入は望みません。
末期癌(癌末期でも、終末期でもない。いつかは向かうでしょう。)の癌患者の
一人ひとりの心理を、医師は理解できるものだろうか。理解するべく、努力は
日夜されているでしょうし、共感性が高く、患者に安心感を与える事が出来る
医師もおられるでしょう。
しかし、大勢を見送ってきましたからという方には、私の場合、疑問が湧いて
くるのです。大勢を見送って来たからこそわかる?何が分かるんですか?大
勢と目の前の一人は違う人ですよ。それとも、統計上ですか。と。
実際には、こんな話はしないでしょうけれど。黙って、微笑んでいる方が、余
分な痛みやイライラを抱えないで済むでしょうし。まあ、懐疑派の患者ですね。
肉体的な痛みをとって貰える事に感謝するでしょう。
c 患者は、人間的な終末期ケアを受ける権利を有し、またできる限り尊厳を
保ち、かつ安楽に死を迎えるためのあらゆる可能な助力を与えられる権利
を有する。
※ その前に、患者は生きるための、治療を探り、選ぶ権利を有し、それを邪魔
されない権利を有すると言いたい所です。
「望ましい死」を説かれ続け、心理的、精神的圧迫を受けないでいる権利を有
するとも。
11、宗教的支援に対する権利
患者は、信仰する宗教の聖職者による支援を含む、精神的、道徳的慰問を
受けるか受けないかを決める権利を有する。
※ この項目は、日本人にはピンとこない場合が多い所かと思います。
「最後の祈り」を必要とする宗教の方もおられる訳ですから、この項目がたてら
れているのでしょう。
患者の権利に関する「リスボン宣言」を読み終わりました。
3条約に、患者は、医師に教え導かれる存在として、書かれてはいないと思いま
す。「導く」というのは、ある意味難しい言葉です。法的な問題を日夜扱う、西欧
社会、米国社会の医師・法律家は簡単には使わない言葉だと思います。
世界は、安定した社会ばかりではありませんから、社会状況によっては、それこ
そ、医師は一身を賭けた選択さえ迫られる場面に、身をおいている人もいるので
しょう。
それでも、尚、医師は患者の側に立てという、医師の理想を訴えた倫理規定でも
あるのだろうと思いました。
感染症治療の為に、自らの命を無くされた医師の列を思い浮かべました。
進行癌患者(末期癌ではあっても、癌末期ではなく、終末期でもない)の悩みと、
生きる努力を理解し、治療してくれている(治療法を研究し続けてくれている)
医師・研究者に感謝しています。
そして、実際に化学療法室で、実施・看護してくれている看護師さんに感謝を。
植え込みの花