本日は曇り空です。案の定、両膝が痛い。

天気は下り坂気味でしょうか。

風が吹かないで欲しいものです。紅葉が散ってしまう。

 

昨日、「コウノトリ」という、医療ドラマをぼうっと見ていました。

医療ドラマが繰り返し作られ、視聴者を獲得します。

古くは「ベン・ケーシー」という外国ドラマ。(お分かりになる方は、私と同

世代か、上の世代の方かと。)デビット・ジャンセンの「逃亡者」も、主人

公は、お医者さんで、逃亡しながら、病人を治療していましたね。

 

「コウノトリ」は、現実にも起こっているだろう「助けられない・助からない・

 もし、あの時・・・の後悔」が描かれていました。患者の現実、医師の理

想と現実、多方面からの視点が描かれているのかなあと思いつつ、見て

いました。

 

何故、こういう話題を出したかというと、癌腫の違う友人と「セカンドオピニ

オン」を、私達は何故受けていないのかという話をしていて、「セカンドオピ

ニオン」ではないけれど、友人は、他科の先生から、「心のセカンドオピニ

オン」を受けた。と言っていい様な話をしてくれたからです。(友人の許可を

得て書いています。)

 

医師には、その科、その時、患者の病状によって、患者に言わなければ

ならない事が違ってくることが有るのでしょうし、癌治療医であるお医者さん

達は、現実の厳しさを患者さん達に語らざるを得ないという事は、よく、分か

っています。

 

友人が、癌である事が分かった当初、速やかに、強力(表現が、妥当かど

うか、ちょっと分かりません。)な化学治療が必要でした。容赦ない正直さ

(これも、ある意味、持ち味。真剣に治療してくれることは伝わったし、嘘より

 余程いい。社会的な経験が足りない若さゆえだろう。と友人は評していま

 した。)の前の主治医との応答に、多少疲れというか、希望が見えないと

 いうか、何ともいえない心持ちを感じていた時の友人に、ほっとするような

 心の灯りをともしてくれたのは、副作用の皮膚症状を診て貰う為にかかっ

 た皮膚科の先生だったそうです。

 

 眼科に掛かった時には、癌患者だという事を説明すると、

 「私は、眼が専門だから、癌の事、言われたって分からない。」

 と言下に言われてしまったそうです。友人は、

 「分からないって、言われちゃったのよ~。」

 と、笑っていました。化学療法の副作用として、眼の症状も薬剤によっては

 あり得るはずなのですが。

 

 皮膚科の先生は、友人の話だと、皮膚の病気の研究が好きで好きでたまら

 ないらしい、かつ、面白みを感じさせてくれる方だそうです。なにせ、どんな時

 でも、笑いを交えて話してくれる友人が、感心しているのですから。

 友人の手を見て、

 「やあ、見事な○○だねえ。これ綺麗に治るよ。(副作用とは関係ないもの

  だったそうですが)治すかい? (もちろん副作用の症状にどう対応するか

  を説明してくれた上での事です。)」

 

 「癌になって大変だろうけれど、薬は効いている訳だし、良い状態を続けて

  いけばいいと思うよ。研究は進んで行くわけだから、いい薬が出るかもしれ

  ないよ。(この方自身、癌関連ではないけれど、皮膚治療の研究を進めてい

  る医師らしいです。)」

 

 「それを待つっていう事もあるよ。」

 と、話されたそうです。

 

友人は、

 「何だか、目の前が明るくなるような気がしたの。そうか、そういう風に考えれ

  ばいいんだなって。」

と言いました。

私も、友人も現実的な人間ですから、何かが、直ぐ解決という風には捉えません。

それでも、「言葉が薬の役割を持つ」という事を理解していますし、「言葉の薬」を、

御自身は知らずして出してくれている、医師、看護師、他の医療者の方々に敬意

を感じています。

 

 「その先生、何だか、腫瘍精神科のお医者さんの役をしてくれたみたいだね。」

と、私。

 「そう、それ。そうなのよ。」と友人。

 

先日の横浜サミットで、緩和医療学教授の有賀先生が、「主治医でなくても、他の

科の先生でもいい、話が出来れば・・・。」といった意の事を話しておられたように思

います。友人の経験と当てはまりますね。

 

友人は、期せずして、外来診察という短い時間の中ではあっても、「心のセカンドオ

ピニオン」の様なものに、触れたのだと思いました。

 

三渓園の花