ありがとうございます



思考が動き回り、頭が疲弊。


身体は動いていないし休めているはずなのに、思考が休まらないから疲労感が拭えないのではないかと理由付け。


色々と心配なのか、あれもこれもやっておこうと思考を巡らせて、電話など動かずに出来る事をしている自分。


初めての事や、事が大きい事なので、それなりにプレッシャーを感じている模様。


例えば、家屋の査定一つとっても、色々な情報が必要で、不動産会社にそれを提供しなければならず、色々と調べたり。


手続きが上手くいって、売りに出す事が出来たとしても、買ってくれる人がいなければ、お金は入らないんだよな⋯と考えたり。(当たり前の事ですが)


もう出来る事は限られているので、ジタバタしても仕方ないのですが。


連休はあれこれ考えるのは止めて、休んだら適度に身体を動かそうと決める。



本日の神寄木賀集ゆかさんのブログを読ませて頂きまして


これ、やってきたな〜と反芻

(今もやっている最中)


基本、依存があるし、甘えもあって、やってもらって当たり前と思っている自分がいる


自分では、なかなかそれに気づけなくて、長女からよく指摘されていた


「感謝がない」って、よく言われて


え〜、ちゃんと感謝しているし、ありがとうだって言っているのに⋯


と、よく理解が出来ていなかった


それは、余りにも自我子が出張りすぎて、気づけなかったのである


今もまだ、そこまで解る段階までは、行っていなくて


何となく、多分、そうなんだろうな⋯と思っている程度


それだけ、周囲には負担をかけてしまっていたし、黙って何も言わずに、やってくれていたのだと思う


それなのに、やってもらって当たり前と思っていたら、相手だって、いずれは限界が来るだろう


セッションで云われた


「長女さんは、よく付き合ってくれていると思いますよ」と。


そして、おそらくそれが原因で、わたしは次女から縁を切ると、LINEもブロックされて交流が途絶えての今がある



わたしは、自分が思っている以上に、やらかしていて


おかしな事や変な事、常識外れの事をして、周囲に迷惑をかけ、嫌な想いをさせてしまっていたのだと思う


知ってはいたけど、セッションでも云われているけど


哀しいかな、かなり自我が強いのです


ゆかさんのブログに書いてある通り


自分が楽をしたいがあって、相手に頼むのにも平気で丸投げ


そのくせ、逆の立場になったら、丸投げしてくる相手を心の中で否定非難


また、周囲の人が、優しかったり、何も言わずにやってくれたりするので


自我子は全然気づけず、何の疑問も感じる事なく、同じ事を繰り返す


仕事でも、やっているなと思うし


そんな事をしていたら、孤独になっていくだろう


少しは気をつける様にはなったが(しているつもりだが)気が緩むと、油断していると、すぐにやっている


意識するは、大事だなと思う


頼んだ相手が、やってくれて、わたしが感謝したとて、浅い薄い感謝でしかない


それが、相手には分かってしまうのだろう


〜以下、ゆかさんのブログより抜粋〜


「これぐらい、やってくれるはず」「こうしたら
普通わかるはずだ・こうするはずだ」等々のような
「甘え=当然」全般は、「今この瞬間点」という
宇宙摂「理」の律動に合わせて生きるならば、
即刻「手放すこと」です。「~して貰える」という
自我儘に基づいた期待を膨らますから、常に
「やってくれない・不平等だ・気がきかない」など
出張り試合のような、不毛な対立が起きる。
基本、「自分でやれ」と己に返すのです。
そして、「誰かがやってくれていた当然を、全部
己で引き受けてみる」行動グラウンディングを成す。
すると、「どれだけの時間と意識とエネルギーを
己の為に使っていてくれたか」が解ってくるので、
やっと「有難いなぁ」と恵まれていた事に気づく。


〜以上〜


「自分でやれ」と己に返し、「誰かがやってくれていた当然を、全部己で引き受けてみる」行動グラウンディングを成す。


↑これ、まずは気づいてやってみよう



わたしが、身の回りに色々と大変な事が起こるのは


それだけの事がないと、堅固な自我の壁に、ヒビを入れられないからだと思う


だから、逃げずに対峙する


諦めずに、継続しよう



お読み頂き、ありがとうございます

それでは、みなさまごきげんよう