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道を歩いていたら、若いお母さんと小さな男の子が、わたしを通り越して行きました
その瞬間に、そのお母さんが子どもに向かって
「てめぇ、この野郎、ふざけてんじゃねえぞ」と、ドスの効いた声で怒鳴って怒っていました。
それを耳にして、違和感を覚えました。
子どもを、そんな威嚇する様な言葉と口調で怒ること
そして、女性であるお母さんが、男性が使う様な言葉遣いをしていたこと
(男性でもそんな言葉は使わない人もいます)
余り、一般的ではなく、そうそう耳にする事でもないと思います
子どもを叱るのは、ふつーによくある事ですが
そんな叱り方をしなくても⋯という、そのお母さんに対する否定非難
そして、女性なのに、そんな男性が使う様な言葉づかいをするなんて⋯という否定非難
そして、その男の子は、そんな風に怒られて、傷つかないのだろうかと心配しましたが
その子は、そんな事は意に介さず、へっちゃらで、小走りで先を走って行きます
お母さんの言う事を聞いているのかいないのか、上手に聞き流している様でもあり
その男の子にとっては、いつもの事で慣れているのでしょうか。。。
そして、そんな言葉遣いで怒られていたら、その男の子も、そんな言葉遣いをする様になってしまうのではないかと思考しました
それから、そのお母さんの言葉遣い
公共の場で、そんな叱り方をして、恥ずかしくないのかなと思ったり
このお母さんは、きっと自分の親から、そんな強い言葉で叱られてきたのかなと思ったり
ママ友同士ではどうしているのだろう、他のお母さんも類友で同様なのだろうかと思ったり
あれやこれやと、余計な事を思考しました
わたしは、何でそんなに気になってしまったのか
捉え方によっては、多少言葉がきつくても、ごく普通の親子の姿と観る事も出来ます
そんな風に怒るお母さんは、他にもいるでしょうし
強い言葉や口調で怒るからと言って、悪いお母さんとは限りません
そうか、わたしは、そんな言葉で子どもを叱る母親は、良くない母親だと評価、断定をしていたのだと知る
わたしは、わたしの基準で、そのお母さんの事を測っていた
わたしが正しいという自己中と最高位
やっぱり、お自我の出張りだった事が判明
そして、わたしが見た、その親子のワンシーンは、まさにその時のワンシーンであって
それがその親子の全てではないし、その他のシーンでは違うかも知れないし
そういう狭小的な捉え方は、それこそ無限の可能性を無視した捉え方になるのではないかなと思ったのでした
そうして観ていくと、そういう親子がいてもいいのだと思えてきて(なんと傲慢な)
わたしは、その親子を否定し、排除していたのだなと、改めて思えます
これって、口には出さないけど、心の中で、いじめているという事にならないか?
自分の中に、差別や排除の意識が在るのだと思った。
まさか、この自分が?
と、思ったけど、そうなんだと思います
おそらくは、誰に対しても、そんな意識が働いているのではないだろうか。。。
そんな自分をこわいなと思う
おそろしいなと思う
邪悪だなと思う
でも、これは紛れもない事実なのである
この自分を認めて、許して、受け入れよう
そう思ったら、遠くにいたその親子が、近くにいる様な感覚になった
自分の一部の様な、身近な存在として感じられたのだった
お読み頂き、ありがとうございます
それでは、みなさまごきげんよう