ありがとうございます



帰宅してからは、いつもの日常(仕事は休んでいますが)が戻った様で、特に何かが変わったという事もありません。


敢えて変わったと言えば、書類が更に増えて、記入して送付したり、整理をして捨てるものは捨てたり


支払先や金額も増えて、郵便局や銀行ATMに足を運び、あちこち問合せの電話をしたりといったところ。


今後は、土地売却や家屋の解体や、庭の樹木の抜根をどうしていくか、業者さんと相談して決めていく作業。


そして、おそらくは散骨の算段か。



長弟からは、急ぎ母屋の鍵を送ってほしいと依頼あり。


長弟の息子や娘が、孫を連れて、なるべく早くにお骨に手を合わせたいと言ってくれているらしい。


父は、何だかんだ好き勝手に生きてきましたが、幸せだよな〜と思います(あくまでも、わたし視点ですが)


どうせなら、生きている間に、孫やひ孫が会いに来てくれた時に、気持ちよく会っておけばよかったのに


それを追い返してしまったがために、関係がこじれてしまったという経緯があったのですが


その時は、認知症の影響もあったのだと思います。


わたしにも、せっかく通院の付き添いで行ったのに、父が怒って、わたしに帰れと言っていた頃でした。


わたしも本当に未熟で、認知症というものが知識としての理解は出来ても、全く分かっておらず、學びの真っ最中だった頃です。


観察ノートにも、どれだけ登場したか、まさに愛憎劇そのものでした。



長弟は、自分のことを父からも母からも嫌われていると言っていました。(わたしは、そんな事はないと思っているのですが)


そして、長男として何も出来ずに申し訳なかったと言った時


わたしは、長弟に「跡継ぎを産んで、それが続いている」事は、何より父が望んでいた事だったと伝えました


父は5人姉兄の末子ですが、一族中で氏を名乗り、子孫が続いている、続いていくであろう家は、長弟の一家のみです。


父だけではなく、一族の希望でもあるのではないかとさえ思えます。


それぞれに役割があるのだろうし、父の面倒は、弟達には無理だっただろうと、それは弟達自身が、誰よりも解っていた事だと思います。


終わってみれば、全てがあるべき所に収まっていた様にも思えます。


これが、最善だったのではないかと。。。


出来れば、そのプロセスにおいて、もう少しわたしが愚痴や文句を言わず、周波数に嵌まらずにいられたらよかったのでしょうが⋯


なにぶん、未熟な我が身。


観察もちゃんと出来ずに、逃げや放置や義務で行動グラウンディングしてきたので


すったもんだしながら、やっとこさ、ここにたどり着いたという体たらくです。


その中で、認められるとしたら、内容はともかく、最後まで関わり続けていられた事でしょうか。


それも、セッションで、いきなり「お父さんはどうしていますか」と問われて、そこから助言を頂いたり


放り出さずに来られたのも、ガイドのお叱りやら励ましやらのお陰であるとも捉えております。



今日は、ふと、父は施設に行って、死期が早まってしまったのではないかとの思考が出ました。(罪悪感)


自宅から救急搬送され病院へ入院し、退院後は施設に移り、たった一ヶ月、そこからまた救急搬送されて4日で亡くなりました。


自分で立つことが出来なくなってしまい、もう一人暮らしは無理だったので、施設に入るしかなかったのですが


施設に入所したばかりの頃に、面会に行った時の父は


いつもの父とは違い、何だか肩身が狭そうに見えて、どこに居るかも解っておらず


慣れていなかった事もあり、落ち着かない様子で、とても不安そうではありました。


わたしが面倒を看れる訳ではないのに、施設に入るしかなかったのに、わたしのせいで、予定より早く亡くなってしまったのではないか⋯


何しろ、ガイドから100歳まで生きるかも知れないと言われ、こちらの施設入所を検討して書類を取り寄せ、申込をしようとしていましたので。。。


でも、実際は何がどうなって、そうなったのかなんて、分かるはずもなく


それは寿命だったり、タイムラインが変わったり、父が決めてきた事かも知れないし


父が亡くなる原因を、わたしが創ったとなったら、影響があるのは避けられないでしょうが


それこそ、わたしは他人にそんな影響を与えられる様な力があるのかという、傲慢甚だしい、自我最高位の万能感婆婆であるということ


父は父の人生を生きたのであり、それぞれを父自身が決めたこと


尊敬と尊厳をもって、父があの世に迷わず行ける様に、それが領分侵害とならず、叶うのであれば


想いを送り届けたいと思う



お読み頂き、ありがとうございます

それでは、みなさまごきげんよう