みなさま、こんばんは

いつも、ありがとうございます


家族葬で、母を見て少し心配になりました


暑さに弱くて食欲もなく、食べるのが面倒と言って、顔が小さくなっていました


認知症もかなり進んできて、顔の表情がなくなっていました


これから、色々な手続きをしなければならず、一人で出来るのか、様子見です


場合によっては、サポートするか代行する等の必要が出てきそうです


遠方だし、平日に休みを取って行く事も出来ず、近くに住む弟に頼もうかと電話をしたところ


けんもほろろに断られてしまいました


家族とか関係ないとか、関わりたくないとか、そう言うだろう事は想像は出来ましたが


最初から、はっきりと言われて、母を想う気持ちが微塵もない事が感じられて


わたし自身が、ショックを受けました


産んで育ててもらった恩みたいなのは、ないものなのだろうかと


大変な中を、私たち3人の子どもを育ててくれて、そういうところに想いを馳せる事は出来ないのだろうかと


苦労して育てた子どもに、関わりたくないとか言われて


何だか母が気の毒に感じて、可哀想に思って、涙が出そうになりました


完全に嵌まっているな〜とは思うのですが


どうにも、すっきりと割り切る事が出来ずにいます


親子とは、こうあるべきとか、子は親に対してこうするもの、みたいな観念はないとは思うのですが


自然発生的に、自然な発露として、そのようにはならないものなのか


理屈では、色々な人がいるし、家族でもそれぞれ違うし、受け取り方も捉え方も、人それぞれだと解ってはいるのですが


情に引きずられています

情に執着しているのがわかります


そして、わたし自身もまた、次女から関わりたくないと言われて、縁を切ると言われていることもあり


それらを母に投影して、感情が表出していることも知るに至ります



以前、セッションで、家族は學び合いのために家族になっているのだから、理想の家族というのはないのだと言われた事を思い出しました


未だに、理想の家族を描いて求めていたのだなと、思い知らされます


いいかげん、手放さないとだな〜



そして、わたしばかり、父や母の世話を押し付けられているという被害者意識があった事を思い知らされます


わたしが、やりたくてやっている

わたしが、それを選択している


そうであれば、不平不満も文句も出ないはずです


どこかに甘えがありました


父と母と両方の世話は無理だから、助けてくれるのではないかと


協力してくれるのではないかと


そして、父や母にとってのいい子でいたいと


だから、父や母に対して冷たくできないし、弟達が言うように、放っておくなんて事は出来ないと


そんな事をしたら、人間としてどうなのかと、思っていたこと


そして、それは思い込みであったのではないかということ


余りに長年嵌まり込んでいて気づけずにいたのではなかったかと


まだ、よくわかっていない部分もあって、おぼろげで、断片的な想いの数々なのですが…



今回の事象は、諸々のそれらを知らされている、まだクリア出来ていない自分の課題、學びであると捉えました



そう言えば、ガイドさんからは以前、父の世話についても、父親とか家族とか思わずに、一人の人間として接しなさいと助言を頂いていました



ちょっと、まだ整理がつかない、観察がしきれない状態で


心の痛みも感じますが


ここは、しっかりと向き合わないといけないなと思います



ついつい、弟を悪く言いたくなる気持ちや、否定の想いが出ますが


弟の言葉はきつかったけれど、わたしの自我を揺さぶるには、効果があったのかも知れません



自分に還して、観ていきます



お読み頂き、ありがとうございます

それでは、みなさまごきげんよう