みなさま、こんばんは

いつも、ありがとうございます


失業認定の手続きのため、ハローワークに行った時のこと。

書類を提出して待っていると、程なくしてわたしの番号が呼ばれました。


手続完了には早すぎるので、何か書類に不備があったのかな?と思ったら、氏名の記入漏れがあり、カウンターに案内され、そこで氏名を記入をして終わりました。


その後、カフェに寄ったのですが(節約のため寄るかどうかすごく迷ったw)、そこで興味深い現実が展開され(内容は割愛させて頂きますが)、これは観察ノートだなと思って帰宅しました。


ハローワークでの事と、カフェの事を体験して、それぞれ別々の事だったのですが、何かこの二つは繋がりがある、共通している事がある様に感じていました。


観察ノートに書いていて、ふと気づいた事がありました。


書類の記入漏れについて、わたしはそれ程大きな事とは捉えておらず、まあよくある事だし、他にも同様な人が結構いるし、気にしていなかったのですが


それでいいのか?


と、初めて問題意識が芽生えました。

それは、思ってもいなかった、新たな発見とでもいいましょうか


記入漏れは、無いのがいいに決まっています。


でも、それが有ってもいいよね、人間誰でもそういう事はあるし、という考えがわたしの心の中に蔓延っていました。


だから、他人の失敗も許せるし、お互いにその方がいいよね位に思っていました。


でも、記入漏れは、明らかに注意不足ですし、職員さんの手を煩わせ、余計な時間を取らせてしまう事になるのだと思い


これが人数が複数になれば、皆の待ち時間が長くなるという事に繋がるのではないかと思ったのです。


些細な事だからと、自分に甘く、これも自分を律せていないという事になるのではないかと思いました。


加齢により、記憶や集中力が落ちてしまうのは仕方ありませんが、わたしもそうだと思っていましたが


違います。


一つの事にあたるのに、意識の在り方が、まるでなっていない


そもそも日常において、意識というものを忘却し、創造軸もなく、ただ流されるままに、生きて過ごしている


脳が高齢化しているだけではない、不注意やミスは、防ごうと思えば防げるんだ、と思いました


周波数が出ないから見過ごしていた事もありますが、自分がミスをする人間だと思いたくない自我りんがいて


無意識に、見逃していたのではないかと思います。


こうして、自分のミスに自覚が出来て、自分のやった事だと、認めて受け入れられれば、次回から自然と気をつけるようになる流れになる様に思います。


これが、自律と自立ということか〜と思いました


きっと、まだまだ気づけていない、見逃しポイントが、たくさんあると思います


気づいて満足して終わりではなく、観察まで繋げて、行動グラウンディングまでします。



お読み頂き、ありがとうございます

それでは、みなさまごきげんよう