みなさま、こんばんは

いつも、ありがとうございます


母から着信があり、伝言メッセージが入っていました。

「特に用事ではないんだけど…」と、その後に、何か言っていましたが、内容は忘れました。


それを聞いて、一瞬イラッとしました。


この忙しい時に、なんなんだ…


期限間近の書類作成で、時間がないのに、タイミングが悪い


でも、母にはこちらの状況は分かるはずもなく、仕方ないことです


無視をすると、いじけ虫か恨み節の自己憐憫が始まるおそれあり、取り敢えず母に折り返しの電話をしました


最初に余り長くは話せない事を伝えました。


内容は、長女と会った話や、その時に長女から母に渡してもらった、わたしから母への母の日プレゼントのお菓子が美味しかったとの感想でした


その他、眼鏡が合わないとか、コンビニのレジが自動支払機になったとか、何をするにも時間がかかるとか、振り向きざまに転びそうになったとか、他愛もない話です。


そのうち、母が「長く話したらダメみたいだから」と恨みがましく言うのを聞き、「あ〜出たよ〜」と思いました。


母には、「長くは話せないけど」と言いましたが、ダメとは言っていない。この否定の言葉と自己憐憫に反応するわたし。


ほんと、鏡なんだなと、見せられているなと思います。


そして、母に優しく出来ない自分、母を悲しませる自分はダメな娘だという想い。ここでも、自己否定やこうあらねばの信念や、自分軸がないのが見て取れます。


そこで、わたしは忙しいからと言って、電話を終わらせる事も出来たのですが、その時は、もう少し話してもいいかなとの思いになりました。


その後も、とりとめのない話や、いつもの愚痴やらでしたが、イライラすることもなく、ただ聞いていました。


ただ、それだけの事なのですが、年を取るとは、こういう事なんだなと、妙に納得している自分がいました。


わたしも、高齢者となりつつあり(既になっているか)、手足の痛みから筋力も落ちて、母の老いを嘆く気持ちも、想像ができます。


父と母の姿を通して、自分の将来の姿を見せられているようでもあり、嫌だな〜と思う事もあるのですが、それこそが學ばせてもらっているという証かも知れません


親子や家族は、分かりやすい鏡として反射してくれる一方、それが直接的なだけに、時に痛みも強く、拒否感も半端なく、


まるっきり他人事には出来ないところに、色々な情も絡まって、複雑になるようにも感じています。(わたしの場合)


家族に関しては、逃れようもなく、昔から課題が多いと感じていましたが、でも、それも家族の問題として出ているだけで、結局は自分の課題なんだなと思います。


一つ一つ、少しずつ、絡まった糸を紐解いていくように、濃やかに観察をする必要があることを知らされ


解脱したいのであれば、家族ドラマに嵌らず、しっかり観ていこうと決めました



お読み頂き、ありがとうございます

それでは、みなさまごきげんよう